大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和37年(あ)242号 判決

判   決

組合役員

(全逓信労働組合島根地区本部

書記長

長光義郎

右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件について昭和三六年一二月一八日広島高等裁判所松江支部の言渡した判決に対し検察官から上告の申立があつたので当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

検察官の上告趣意について。

所論は、原判決が公共企業体等労働関係法(以下単に公労法という。)一七条に違反してなされた公共企業体等の職員の争議行為に対し労働組合法一条二項の適用がある旨判示したのは、論旨引用の各判例に違反し、かつ、法律の解釈を誤つたもので、ひいて量刑に甚しく不当な結果を招来しているので、破棄されるべきであるというのである。

よつて、検討すると、公労法一七条一項によれば、公共企業体等の職員は、同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができないと規定されている。そして、国家の経済と国民の福祉に対する公共企業体等の企業の重要性にかんがみ、その職員が一般の勤労者と違つて右のような争議行為禁止の制限を受けても、これが憲法二八条に違反するものでないことは、すでに当裁判所の判例の趣旨とするところである(昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決、刑集九巻八号一一八九頁参照)。かように公共企業体等の職員は、争議行為を禁止され争議権自体を否定されている以上、その争議行為について正当性の限界如何を論ずる余地はなく、したがつて労働組合法一条二項の適用はないものと解するのが相当である。

それゆえ、原判決が公労法一七条に違反してなされた争議行為に対し労働組合法一条二項の適用がある旨判示したのは、論旨引用の福岡高等裁判所宮崎支部昭和三五年一月一二日判決および広島高等裁判所昭和三六年一一月六日判決と相反する判断をし(なお、論旨引用の福岡高等裁判所昭和三五年三月二日判決は、公労法一七条違反の争議行為と労働組合法一条二項との関係につき、判断を示しているものとは認められないから、本件に適切でない。)、法律の解釈を誤つたものであることは、所論のとおりである。しかし、原判決は、結局において、被告人判示の所為は労働組合活動の正当行為とはいえないとして、刑法九五条一項、二〇四条を適用処断しており、その量刑も不当に軽いとは認められないから、右の違法は判決に影響を及ぼさないことが明らかであつて、原判決を破棄する理由とならない。

また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

昭和三八年三月一五日

最高裁判所第二小法廷

裁判長裁判官 池 田   克

裁判官 河 村 大 助

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 山 田 作之助

裁判官 草 鹿 浅之介

弁護人鈴木紀男の答弁書

一労働基本権と公共の福祉について

憲法第二八条は勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動する権利は、これを保障する」と規定しているが、同法第一三条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めている。

そこで憲法第二八条に定める労働基本権は、公共の福祉ということより、それを制限或は否定することができるか、ということが問題になる。

憲法第二八条の規定をどのように理解するかについては、種々の学説があるが、これを大別すると、(一)国家が労働者の団結の自由を不当に制限しないという意味の自由権的な基本権と解する説と、(二)国家が権利実現のための積極的な措置をとる責務を有すると共に、私人間の関係においても認めうる生存権的な基本権と解する説に別たれると考えられる。

しかし現行憲法の制定の趣旨と、労働基本権の歴史的な経過を検討すれば、そもそも一人で行つてもよいものが、多数で行つては何故悪いか、というようなことから労働者の集団的交渉を認めざるを得なくなつたことによつて、労働組合が刑事罰から開放せられた事実、それから労使の実質的な力関係の不均衡から必然的に生づる。社会的紛争を除去するために、国家が積極的に労働者の諸権利を拡大し、労使の調節を計ることによつて労使の不均衡を取り除き、社会的紛争を除去しようとしてきた歴史的な事実から、日本国憲法二八条は、国家が組合の団結に不当に介入しないという消極的な自由権と解すべきでなく、国家が積極的に、労働者の生存権を確保する為の具体的権利だとする(二)説と解すべきものである。

憲法第二八条をこのように解釈すれば、労働基本権を公共の福祉という概念で制限したり否定することはできない、何となれば公共の福祉なる概念が概めて抽象的なものであるばかりか、時代によつてその解釈が相違してくるからである。前記の如く、労働者の権利が労使間の社会的紛争を除去するために、いわば公共の福祉のために認められた権利であつた。この権利を又公共の福祉なる概念で制限又は否定すること自体が矛盾することになる、従つて憲法第二八条の労働基本権は、労働者の権利として労働者である以上、生存権的な基本権としてこれを公共の福祉に反するということでは剥奪することはできないと解すべきである。

公共の福祉なる概念が法律上如何にあいまいで普通的な原理にならないかについて「スト権の制限法の原理として公共の福祉が指摘されているアメリカにおいても、その概念はその時代により、一見相反する外観を呈した。例えば労働時間法をはじめとする労働保護立法においては、労働者の健康と安全を護ることこそ公共の福祉であるとされ、又一九三五年のワグナー法においては、スト権を保護することが購買力を引上げ、ひいては公共の福祉に合するとされ、一九四七年のタフト・ハートレー法においては、ストライキを制限することが逆に公共の福祉に合すると説明されている」事実(講座労働問題と労働法六五頁)からもうかがわれる。

二、公務員は憲法第一五条によつて労働基本権を制限又は否定されるか

憲法第二八条は前記の如く勤労者の団結権等を認めているが同法第一五条において「すべての公務員は全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者でない」と定めている、そこで次に問題となるのは、右憲法第一五条によつて、公務員は一般私企業における、雇傭主対従業員という対立関係と異り、全体の奉仕者であり、雇傭主は政府に外ならず、そして結局は国民になるのだから、公務員が争議権を行使して自己の要求を貫徹することは、国民の一部の者に奉仕することになり違法になるという議論である。

ところで公務員は憲法二八条に規定する勤労者のなかに含むことは、労働組合法の規定第三条をまつまでもなく、労働による報酬によつて生活しているものであるから当然である。又最高裁判所もその判例(昭和二八年四月八日刑集七巻四号七七五頁)において一応公務員も本来は団結権等を憲法上認められるとして勤労者の概念には公務員も含むことを間接に認めているし、事実政令二〇一号が公布施行される前は公務員も憲法第二八条で定める勤労者であるとして争議権を認められていた。

このように公務員は勤労者ではあるが、一般私企業に雇傭せられる勤労者とは、全体の奉仕者であることから国民から雇傭せられ且つ国民に対してサービスすることを使命とするものであるから団結権等についても制限或は否定されるのは当然であるということである。

なる程公務員の任命関係、仕事の内容は一般私企業に於けるそれと異り、終局的には国民に奉仕するもので、その意味で国民が雇主であるということで基本的な相違があることは明かである。しかし乍らこのことは公務員のなかでも極めて一部を占る公務員にのみに云えることで一般的に右のように断定はできない。否むしろほとんどの公務員について考えて見ると、その任命権は政府が持ち且つその指揮命令によつて動かされているのである、この事実は一般私企業の会社代表者と従業員のそれと実質的には全く同じである、従つて公務員の任命関係から一般の労働者との相違を強調して公務員の団結権並に争議権等を制限又は否定することは妥当でない。

次に公務員は、その職務が国民に対して奉仕しなければならないから、若し公務員が争議行為によつて自己の労働条件を引き上げるとすれば、それは国民の一部の者に対する奉仕となり、違法であるというにある。

しかしながら勤労者が争議権を行使してその労働条件を維持、向上させることは、憲法第二五条に定める国民の生存権から派生する当然の権利で、何も国民の一部の者に奉仕するためのものではない公務員といえ共、勤労者としての自己の生存権を否定してまでも、国民全体のために奉仕すべき法的根拠は全くない。

このように公務員の争議権と公務員は全体の奉仕者であるという規定を形成的、機械的にむすびつけて争議権を否定することは許されない。

右のように公務員は公務員だということで全面的に憲法二八条に定める労働者の権利は否定できないが、唯一部の公務員に対してはその職務が国民と直接関連し、若しその公務員がストライキなどの争議行為を行えば国民に対し多大な迷惑をかけ、国民全体に対する奉仕を怠ることになる場合その限りにおいて争議権を制限されることはある。例へば警察官、消防官の如き場合である、しかし一般の公務員の場合ストをしても直ちに国民全体に多大な迷惑をかけることにはならない。又おなじ公務員のなかでも、郵便の配達と国の政策に直接関連を持つ高級公務員とでは、国民に対する奉仕ということから、当然その取扱に差異が生づることはあり得る。

従つてこのようなことから、公務員については画一的に争議権を否定することは間違で、各公務員について具体的に判断すべきである公共企業体職員を高級公務員と同列におき、いづれも国民全体の奉仕者だからとして争議権を全く否定することは許されない諸外国において企業体職員である国鉄職員はもとより一般の公務員すら争議権を否定せられてない事実はこれ等職員に対し、全体の奉仕者という概念は存在しないからにほかならない。

三、公共企業体職員と憲法第二八条について

既に述べた通り公務員と雖も、公共の福祉、或は全体の奉仕者という概念で一般勤労者と殊更区別して憲法第二八条に定める労働基本権を否定することは間違であることが明かになつた。

しかし乍ら現実には、実定法上非現業公務員には、右労働基本権は否定されている、又現業公務員については極めて制限された団結権しか認められていない、そこで現業公務員である公共企業体職員と憲法第二八条との関連について述べたい。

既に明かな通り、企業体職員も労働基本権との関係は、昭和二三年七月二一日公布施行された所謂政令二〇一条の適用以前においては当時施行せられていた労働組合法並に労働関係調整法による制限以外何もなかつた。いわば労働法上一般民間企業の従業員も全く同等の取扱をうけていたのである。ところが前記政令が公布施行せられ、右政令に基き新に公労法が制定され、更らにその後公労法の改正によつて、三公社五現業の企業体職員については争議権を全面的に否定されてしまつたのである。

そこでこの際右公労法制定の経過を考えることは、公労法と憲法との関係を理解する為の大きな要素となる訳である。

先づ政令二〇一号の公布並に公労法が制定された時期と方法である。

政令二〇一号が公布施行されたのは昭和二三年七月で、当時国家公務員を中心にした労組が全国的なストライキを正に敢行しようとした時に、これを阻止する目的でときの連合国総司令官マックアーサの芦田総理大臣宛の書簡という形で出され、この書簡に基いて政令二〇一号が公布され、結局右労組のゼネストが中止されたのである、そして当時右書簡は超憲法的な効力を有し、憲法より優先なるものと解され政府に対する至上命令という性質のものであつた、公労法はマ元帥の右書簡の指示によつて法律として制定され、国鉄、専売公社に従事する職員の争議権を奪つたのである。

政令二〇一号が右のように超憲法的な性格を持つていたことから公労法の制定も占領軍の一方的な命令により我が国憲法の法体型を無視して制定せられた極めて政治的な法律であつた。

このことは公労法制定に関する国会の審議経過を検討すれば明かである、当時の増田労働大臣は、「この特殊政治条件下において、つかみ合いをしたところでいたし方がございません、われわれの痛いところは、あなたがたの痛いところでもあるわけですからどうかその点御了解のもとに是非御協力願いたいと思う」と国会で答弁している。

又吉田総理大臣は「現在マ書簡によつて義務づけられている状態で、先は先として、今日は公務員法の通過を熱望せざるを得ない日本政府としては義務のもとにあると答えるほかしかたがないのであります」と答えている、又当時公労法制定に直接関与した政府委員の一人である松岡教授は、「GHRがもつとも介入した労働関係調整法でも公労法ほど、最初からGHRは介入しなかつた、……すべてが一方的であつた」又「国鉄のストが公共の福祉に反するというにはその合理的な理由はなく、それは占領政策のためである、占領開放後考えなほして結構だという趣旨の回答が当時の占領軍の担当官が言明した旨述べている(松岡三郎「公労法制定の経過について」)このように公労法は超憲法的な効力を持つマ書簡により政治的な法律として制定され、従つて占領中の限時法的性格を持つものである。このような意味から当時諸外国で認められている国鉄職員の争議権を否認するのも認められてきたものに外ならない。だから講和後は、直ちに本来の姿にかえるべきであるが政府は公労法改正により適用職員は三公社、五現業に拡大し、益本法の憲法違反の色彩をこくしたのである。

公労法の制定経過が右事情であるとすれば、公労法の解釈にも自から限界がある。即ち公労法は労組法上公共企業休職員に適用する特別法に外ならない。だから令法第三条において労組法第一条第二項の適用を認めている以上一七条に違反したというだけの争議行為については、一八条で解雇されるだけの責任を負うにとどまり、それ以外の責任は負わないと解すべきである。

四、検察官の摘示した高等裁判所の判例について

(一) 検察官は原審判決が、公労法一七条に違反した行為といえ共同法第三条により労組法第一条第二項の適用があるとの判断に対し、(イ)福岡高裁昭和三三年(つ)第一三九〇号、第一三九一号事件、(ロ)福岡高裁宮崎支部昭和三二年(う)第三九一号乃至第三九三号事件、(ハ)広島高裁昭和三五年(う)第三七〇号事件の判例を引用し、前記原審判決はこれ等の判例と違反していると主張している。そこで検察官の右摘示した高裁判例について検討してみたい。

(イ) 検察官は前記福岡高裁昭和三三年事件の判決で「右休暇斗争は国鉄業務の正常な運営を阻害するものというべきであるので、公共企業体等労働関係法第一七条により禁止された違法な争議行為に当り、従つて又本件ピケツトラインもこれに随するものであるから違法なものと云うべきであり」と判示していることは公労法一七条に違反した行為は労組法第一条第二項の適用の余地がない旨を明かにしたものだとしている。しかし右判決は、「よつて先づ本件ピケットラインの正当性の有無につき按ずるに、前記第一の(イ)一において説示したとおり(判例一六一頁)とし、本件ピケの態様について第一の一(イ)で詳細に事実を認定している、そして認定された事実によると、弁護人の本件ピケが車掌の出務を実力で阻止する目的でなく、鉄道公安職員の暴力的なピケ破りに対抗する為であつて、それにより出勤してくる組合員や非組合員の入場を阻止する考は初よりなかつたと主張していることに対して「右ピケは太田助勤車掌の同車掌区への入場を阻止することが目的として張られたものであるというを憚らない」と判示して、かかるピケは弁護人の主張する「正当な説得行為」とは云ひ得ないと判示したものである。

だから実力をもつて車掌区に入場する車掌を阻止するピケは、それ自体労組法上違法で、このことは又公労法一七条に違反する争議行為で違憲だと判断したまででのことで、公労法が労組法第一条第二項を排除した趣旨と解すべきでない。

(ロ) 次に福岡高裁昭和三二年事件における判決が「被告人等の一連の行為は禁止された争議行為であり、所論の如き正当な組合活動とはいえないことは勿論である」と判断しているのを引用して労組法第一条第二項が適用しないことを主張している。

しかし右判決は、そのあとに、「弁護人の「職員の休暇斗争は正当な組合活動であり、被告人等の所為に対し公労法第三条第二項を適用すべきであり」との主張に答えて「被告人等はいづれも米初次郎に対し暴力を加えたものであるから、原判決が被告人の行為に対し公労法第三条、労組法第一条第二項を適用しかつたのは当然であつて」と判示している。右判示の趣旨は休暇斗争自体は公労法第一七条に違反する争議行為であるが、その限りにおいては労組法第一条二項の適用により違法性がないが、本件は被告人等の暴力により労組法上組合の正当なる行為とは解釈されないから労組法第一条第二項は適用しないのだということを明かにしたもので、むしろ公労法は令法三条により刑事免責を認めたことを示すものである。

(ハ) 更らに広島高裁昭和三二年の判決であるが、弁護人は右判決を入手していないので詳細に論評はできないが、検察官自身の引用した判決によつても右判決が違法としているのは「集会に不参加を表明し、参加を肯じない組合員に対し、暴力的に連行する行為」は正当な組合活動とは云えないとしているものと思料される、だから右判決で被告人の所為を違法と判断したのは、労組法第一条第二項に照らして違法としたまでで公労法か労組法により刑事免責があることを前提として判断しているものと断ぜざるを得ない。

以上検察官が引用する前記高裁判決はいずれも公労法が労組法第一条第二項を適用されることを示しているもので検察官の主張は前記判例を否曲したものである。

五、検察官主張の公労法第一七条の解釈について

検察官は、全体の奉仕者たる国家公務員の使用者はつまり国民であり、公務員の労働条件の決定も国家の意思従つて法律によつて決定されるわけであるから、かかる法律を制定する国会に対し争議行為をなし得る筈はない、若し公務員が争議行為によつて自己の要求を貫徹するというなら、それは国民の一部に奉仕することになり国民に対する信託関係も否認することになる。公務員は全体の奉仕者で公共の利益に奉仕するもので、それは単に公共の利益に反しなければよいという消極的なものでなく、公共の利益を実現すべき積極的な性格をもつものである。

だから公務員には憲法第一五条の規定が現存する限り令法第二八条の労働基本権は全面的に排除されるのは至極当然のことであるというにある。そして公労法一七条の規定も、公共企業体職員が公務員であつて、全体の奉仕者として公共の利益の増進に積極的に尽すべき責務を有する以上争議権が否定され、労組法第一条第二項の適用が排除されるのは当然であるとしている。

つまり検察官の主張の基本になつているのは、公務員に争議権を与えることは現行法体型上、本来的に違法なのだから刑事免責を認めないので、国家公務員法又は公労法に違反するから違法である訳ではないのだというにある。

しかし乍ら、このような検察官の主張の間違であることは次の理由で明かである。

既に前で述べた通り憲法第二八条の労働基本権が認められたのは、公共の福祉つまり全体の利益のために労働者に認められた基本的人権であるということを検察官は見のがしている。近代国家において労働者の団結権等が夫々憲法で定められているのは、それが本来的に基本的人権として認められているからに外ならない。これを若し検察官の主張するように解するとすれば現在諸外国に於て公務員の争議行為が禁止されていない事実や、又公労法制定前に企業体職員に争議権を認められていた事実をどのように説明すべきであるのか。

検察官は、法律で、争議行為を制限或は禁止していることについて何等本質的な考察もせずこれを十把一からげにして法で制限、禁止している以上、法かそれ等の争議行為を本来的に違法だと評価しているのだとしているつまり法があろうとなかろうと違法なので法はたゞその確認をしたにすぎないといつているのであるかかる考え方は労働者の団結権等をそれ自体違法だとした十八世紀的な労働感覚で憲法第二八条、公労法等を理解していることをバクロしたに外ならない。

ところで法律上或る特定の行為が制限、禁止されている場合それ等の制限、禁止規定についてどのように評価すべきかはこれを次の二つに分けて考察すべきであるということは通説である。

一つは、例えば刑法各本条に規定してある犯罪構成要件の如きで、それは本来的な違法な行為で、法律は唯その確認をしたという性格を有するもの(労働法上は労働関係調整法第三六条違反の争議行為)と、本来ならば何等違法と評価すべきではないが、特別の実情によつてそれが法律上制限禁止される場合の性質を有するものとに分けられる。

而して前者の場合に、その制限、禁止規定をおかしたときは、それが本来的に違法と確認されているのだから構成要件該当の事実があれば直ちに違法性を具備し刑事上の評価をうけるのは当然である。しかし乍ら、後者の場合はその取扱は全く異る。これ等制限、禁止規定は本来的に違法とされていないのである唯行政上の必要とか、その他特別の目的から制限、禁止をうけているにすぎない、従つて若しその規定を得したとしても、それは単にその規定による制裁をうけるにとゞまり、刑事上の評価はできないものである、公労法は既に述べた通り、労組法に対する特別法の関係にあり、令法第一七条は、憲法との関連において企業体職員の争議行為を本来的に違法だと確認したとは断じ得ない、むしろ公令法規定の経過より見れば一時的な行政上の必要から争議権を制限したものであり、従つてその違反は公労法の枠外にでることは許されない。

この点につき最高裁昭和三〇年十月二六日判決(刑集九巻十一号二、三一三頁)で次の通り明かにしている「しかし本件当時においては、国有鉄道の職員たる機関士、機関助手等は国家公務員であつたのであるが、右の如き現業職員たる公務員も旧労働組合法第三条にいはゆる労働者として団結権、団体交渉権その他の団体行動をする権利を有するものとされていたのであるから、もし本件昭和二三年政令二〇一号が制定施行されなかつたとすれば、右鉄道職員が、右判示の如く何ら暴力等を用うることなく、単に同盟罷業として、多数共同してその職場を去りこれを放棄し、その結果国有鉄道の業務の妨害するに至つたとしても、それは正当な行為として何ら罪となることはないのである。しかるに昭和二三年七月三一日、本件昭和二三年政令第二〇一号が制定公布され即日施行され、公務員が「国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為」をすることを禁止し処罰することとしたため、本来ならば処罰されることのない前記の如き共同職場放棄が右政令の禁止する「国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為」にあたるものとして処罰されるに至つたものである。そして右の如き争議行為をすれば、その国又は公共団体の業務が妨害され、又は妨害される処のあることは言を俟たないところであるから、公務員が右の如き争議行為をなし、異つて国又は地方公共団体の業務を現に妨害した場合であつても、その公務員に対しては、本件政令二〇一号三条、二条一項だけを適用し処断すれば足るのであつて、すなわち右政令第二〇一号は刑法第二三四条に対する特別法と解すべく、更に刑法第二三四条を適用処断すべきものではない。してみれば前記原判決判示第一の事実に対し原判決が右政令第二〇一号三条の外更に刑法第二三四条を適用処断したのは誤りであつて原判決はこの点において破棄を免れない」と判示している。

右判例の趣旨は、禁止規定を記した争議行為といえ共、本来その争議行為が合法とせられる範囲内の行為であればそれは禁止規定の枠内で処罰さるべきもので直ちに刑法上の犯罪は構成しないということを明かにしたものである。

又、公労法一七条の趣旨について横浜地裁昭和二五年十月三十日判決(刑集第八巻十三号二、一七五頁の第一審判決)で「公労法一七条において争議行為を禁止したのは公共企業体職員の争議それ自体反道義的とされるに至つた訳ではなく、従来の労働運動の実際に鑑み、公共の福祉を確保するための已むを得ない防衛的措置に過ぎず、飽くまでも行政的な禁止の性格をもちその違反の効果は公労法の枠内において決せられるものとすべきである」

このように、公務員並に企業体職員に対する労働法の制限、禁止規定は行政上の目的から政策的に定められたものでこれ等の職員に労働法上の権利を全面的に認めることは本来的に反社会的、反道義的なもので違法だというのではないのである。しかるに検察官は公務員については労働法の権利を全く否定し、唯法律が特に定めたものに限つて権利を附与したにすぎないといつているが、この論理は前記判例に照らせば全く逆立の議論で失当である。

六、検察官の札幌高裁昭和三五年(ら)第二九号事件の判決に対する批判について

検察官は右判例が企業体職員の争議行為について民事免責は認めてないが刑事免責は認めているのだという趣旨の判決を批難していう、そしてその理由として前記判決は刑法上の違法性に対する認識を誤つているからだとしている。即ち公労法一七条に違反する争議行為は全法律秩序の見地から違法性が肯定されるのにこれを看過しているというのである。

そこでこれに対して考察してみよう。

元より検察官が主張するように刑法上の違法性は民事上の違法、不当と異ることは論を俟たない。そして当該行為が違法であるか否かはその行為が公の秩序に実質的に反するか否かによつて窮局的には判断されるべきものである。

検察官は違法性について当初に、刑事上の違法行為と民事上のそれについての区別を認め乍ら、その行為の違法性の判断において、「違法性は前述の如く全法律秩序の見地から行為が無価値なりと判断さるべきものであつて、かかる法的無価値なりと判断される違法性は独り刑法的に特殊なものでなく法的に一般的なものである」として結極は刑事上の違法性の判断と民事上のそれとの間に何等の差異がない旨主張し、そして刑事上の違法性は「可罰性を制約するものであるが、可罰性によつて制約されるものではない」としている、しかし乍ら民事上不法行為として違法性が認められるものであつても、刑事上かならず違法性があるともかぎらない、又この逆の場合もあり得る。このことは法律上の違法性は、法秩序の全体を基礎として考えられなければならないがしかし、法域によつて目的論的な相対性が認められることを示すものである。従つてこの意味において刑事上の違法性について可罰性その関連において特別な刑法上の違法性の概念が生づる由えんである。

労働組合の争議行為についての違法性の判断も、このことについて例外であるということはできない、殊に労働組合の争議行為についてはそれが集団目的なもので公使の対立関係より生づる行為であることから、違法性に対する判断も、一般市民法的な、平面的、形式的な判断は許されない、組合員の争議行為が、刑法第二三四条に規定する、構成要件事実に該当するものとしても、それが組合の正当なる行為だと判断されればその限りにおいて威力業務妨害罪が成立しないつまり違法性がないとして刑事上の訴追をうけないことは、既に最高裁昭和三一年十二月二四日判決(刑集一〇巻十二号一、六〇五頁)の示すところで明かである。

ところで公労法適用の組合は、単なる民法上の組合でなく、企業体職員で構成し、これ等職員の労働条件に関する苦情又は紛争の友好的且つ平和的調整を図るよう団体交渉の慣行と手続を確立すること(公労法第一条第一項)にあるのであるからその本質は労働組合に外ならない。そして労働組合である以上、その争議行為についての違法性の判断は、労働法上で評価しなければならないことは当り前のことである、而も公労法が前に述べた如く企業体職員の争議行為が本来的に反道義的、反社会的なものだとして争議行為を禁止したのではなく、専ら行政的な目的で禁止したものであることから、同法第三条で労組法第一条第二項を適用さるとしたことは正しいと云わねばならない。

更らに検察官は法益均衡論から、公労法で企業体職員に対し刑事免責を認めた趣旨を主張している。

憲法第二八条の規定は、同法第二九条の定める私有財産制度に対応する規定であることは、歴史上並に現行日本国憲法の規定上明かである、そしてこの趣旨は云うまでもなく、労働が唯一の生産手段である労働者が、その生存権を確保するための基本的な権利として認められたものである。

ところで公務員も憲法第二八条に定める勤労者であることは既に示した最高裁判例で明かである。

だから公務員も本来的には一般の労働者と同様な労働基本権を持つものであるが、使用主が国であり、又全体の奉仕者でなければならぬということで、労働基本権の一部を制限又は否定されているにすぎない。

いわば公労法は企業体職員と云え共、もともとは争議権があるのだがその行使については制限するという趣旨に外ならない、本来的に権利だと認めているのにその権利行使を刑罰を持て禁止しようとすること自体は、本来的に権利を否定することになり矛盾になる。

争議権の本質は働かないということでそのことが法律上使用主に対する労働者の権利として認められていることを意味するそれなのに争議権の行使自体を刑罰の対象とすることは働かなければ刑罰を科するということになる訳で憲法一八条に定める強制労働禁止の規定に違反する尤も最高裁は公務員も「所定の手続を経れば何時でも自由意思によつてその雇傭関係を脱することができるのである」という理由で公務員が政令二〇一条で争議権を否定しているのを合憲であると判断しているが、右判示は、現実に労使関係を無視したもので失当である。

「憲法は勤労者に対し団結権、団交権等を保障すると共に総ての国民に対し平等権、自由権、財産権等の基本的人権を保障しているのであつて、是等諸々の基本的人権が労働者の争議権の無制限な行使の前に悉く排除されることを認めているのでもなく、後者が前者に対し絶対的優位を有することを認めているのでもない、寧ろこれ等諸々の一般的基本権と労働者の権利との調和をこそ期待している」ことは明かである。

私有鉄道が右最高裁の判示した趣旨の下で争議権が認められている訳であるが私鉄と実質的に何等変らない国鉄に於て何故争議権が刑罰を背景に否定されねばならないのであろうか。

検察官は企業体職員の争議権行使が職員を利する利益に対比し公共の利益を害する方が多いいからは法は禁止しているのだとして、専ら公共の利益の侵害ということから争議権の禁止を強調している、しかし乍ら企業体であろうと民間企業の場合であろうと、もともと争議権行使はその反射時は効果として公共の利益を侵害するもので、憲法はこれを前提として労働者に争議権を認めたものである。検察官主張の如く争議権の否定を専ら公共の利益との均衡にあるとすれば、労調法第八条に定める公益事業の場合に争議権が単に制限されていることをどう理解するのであろうか。

尚最高裁判例においても公共企業体と民営鉄道とは何等異らない旨の判決のあることに注意せられたい。

七、公労法一七条について

公労法一七条に違反した場合、令法一八条で解雇されるものとすると定められている、この解雇の性格については学説上、解雇するか否かは全く任命権者の自由な裁量にまかされていること、又解雇は懲戒解雇でなく、公労法上特に定められた解雇であるといわれているのが通説である。

又公労法が団結権、交渉権を認めているのは企業体職員には憲法二八条を全面的に否定した趣旨でないことを示すものである。

これ等のことは、公労法が例外的な特別規定であることを示しているもので公労法に規定されない事項について一般的に労働法の適用のあることを明かにしたものである。

検察官は公務員である以上現業、非現業を問わず全体の奉仕者で公共の福祉に尽すべきであるから、その取扱に差異は認められぬと主張していながら、公労法が国公法第一一〇条第一七号の如き禁止違反に関する罰則が規定してない事実の説明に至つて止むなく、その区別を認め、「いはゆる現業公務は国(又は地方公共団体)の司法又は行政の事務とは性格を異にする」と述べて苦しい説明をしている。

検察官の主張が法律的に誤りであることは前叙の通りで明かであるが何故かかる無理な主張するかについてILO八七号条約並に、一〇五号条約との関係で説明せねばならない。

既に明かな通り、公労法第四条第三項が右八七号条約に照し国際労働機構であやまりであることが確認され政府も右条文の削除を国内法的に準備せざるを得なくなつた。

そこでこれを若し単純に削除し、公労法第一七条が刑事免責につき労組法第一条第二項が適用するとすれば職員でない組合員に対し争議行為禁止の効力は事実上意味がないことになる従つてかかる組合に対してまでも争議行為を禁止する意図で公労法上明文があるにも拘らず同法一七条の規定の趣旨は労組法第一条第二項の適用を排除したものだと強調しているにすぎない。

検察官の主張は極めて政治的で法律的でない。

又検察官の右主張は、結局前記ILO一〇五号条約に違反する、即ち右条約は強制労働の廃止に関する条約として「次に掲げる手段、制裁又は方法としてのすべての種類の強制労働を禁じ、かつこれを利用しないことを約束する」として第一条の項で「同盟罷業に関与したことに対す制裁」が明記してあり右規定は正当な争議権行使に対する制裁労働と評価されることを意味する、検察官の主張は右の如く実際労働法規にも違反し何等理由はない。

弁護人松崎勝一の答弁

第一、検察官の上告の趣意は誤りである。

検察官は公労法第一七条に違反する公共企業体等職員の争議行為については労組法第一条第二項を適用する余地はないとの判断は、掲記主張の福岡高等裁判所同裁判所宮崎支部、広島高等裁判所のすでに判例とするところでありしかもこの判例は、ほぼ確定されたものであり、且又法律解釈としても正当なものであるにも拘らず原判決は、判例に違反し、法律解釈を誤りこれらの誤ちが被告人に対する量刑に必然的に影響していると思われるから、破棄すべきだと主張している。

併しながら、右に掲げた判例は決して確定的なものでないばかりか、その内容をなす公労法違反の争議行為に対する法律解釈も誤りであつて、従つて、量刑に不当な結果を及ぼしたものとはいえない。検察官の上告の趣意は誤りである。

第二、検察官の引用する判例は、確定的なものではないし、公労法第一七条違反の争議行為に対する判断の判例としては適切なものでもないしむしろ最高裁判所の判例に違反するものである。

一、公労法違反の争議行為に対する判断を詳細に述べた適切な判例。

(1) 先ず検察官が自ら上告趣意の中にも引用している札幌高裁函館支部の判例(昭和三六年二月二一日昭和三五年(う)第二九号威力業務妨害被告事件)は直接公労法違反の争議行為に対する労組法第一条第二項の適用の有無についての判断を示しついに労法が公共企業体等の職員に対し労働組合法の適用あることを明示しながら特に争議行為については右労組法第一条第二項の適用を排除することを明確にしていないし他にこの点に関連し争議行為についての直接の罰則規定を設けていない以上、たとえ同法第一七条が全面的な争議行為の禁止を規定していてもその違反の効果は同法第一八条による解雇に止まるものと解すべきであつて(なお別に民事上の免責が与えられないで損害賠償義務の発生することは前記の如く労組法の第八条の適用を排除する第三条の規定に基くものであるが)公共企業体等の職員の行つた争議行為の処罰については労組法第一条第二項の適用によつて一般私企業の従業員と同様犯罪の構成要件に該当すると共に争議の目的、手段方法等の点において労働組合法所定の正当性の限界を超えるものに限られるものと解するのが相当である)と明らかに、刑事免責の規定がある旨を判示し本件広島高等裁判所松江支部もこの点に関し右札幌高裁函館支部の判断と同様直接明白に刑事免責規定の適用がある旨を判示している。(検察官は札幌高裁函館支部の判決は民事上の免責が与えられないことを附加しておりこの点が原判決と異ると述べているが原判決はその点についてまで論及しなかつたにすぎないものと考える)

(2) 外に下級審の判断として、横浜地裁(昭和二五・一〇・三〇最高刑集第八巻一三号二一九〇頁以下)は「公労法一七条において争議行為を禁止したのは公共企業体職員の争議がそれ自体反道義的とされるに至つた訳ではなく従来の労働運動の実際に鑑み公共の福祉を確保するためやむをえない防衛的措置にすぎず飽くまでも行政的な禁止の性質をもちその違反の効果は公労法の枠内において決せられるものとすべきである。

検察官の理論によるならば唯単に職員が同盟罷業を決行しただけでも違法な多数人の威力が用いられたものとして刑法第二三四条所定の業務妨害罪の成立を認めなければならないことになるがこの結論が健全な社会通念のいれるところでないこと多く疑がないであろう。

公労法が国家公務員法第一一〇条第一七号と同趣旨の争議行為に関する処罰規定を設けなかつたのは国家公務員とは異つた現業職員たる点に実質的考慮を払われたがためでありこの点の差異を無視し恰も公労法において争議禁止の処罰規定が設けられたと同様な解釈をとることは法の精神を解しない不当の論である」と判示し、更に函館地裁(昭和三四・一二・五判決別冊労働法律旬報三七五号九頁以下)は「検察官は公共企業体等労働関係法第一七条違反の争議行為に対しては労組法上の免責規定の適用の余地が無いと主張するが公労法第三条は労働組合法第八条(所謂民事免責の規定)の適用排除を明言しながら同法第一条第二項(所謂刑事免責の規定)の適用を排除していないということ公労法第一七条は労働関係調整法第三十六条乃至第三十八条が争議権を剥奪することなしに一定の手段方法を禁止又は制限したのとは趣きを異にし争議行為それ自体を禁止した点で、むしろ国家公務員法第九八条第五項前段、地方公務員法第三七条前段と軌を一にするものであるが国家公務員法は同法第一一〇条第一項第一七号に於て、地方公務員法は同法第六一条第四号に於て、それぞれ前記禁止規定違反の行為に対し罰則を設けているのに対し公労法は同法第一七条違反の行為に対し罰則規定を有しないということ、更には公労法が沿革的に昭和二三年政令第二〇一号にかえて制定された法律にも拘らず、同令には存した罰則規定を公労法に存置しなかつたという経緯を併せ考察すると、公労法によつては同法違反の争議行為に対し可罰的な違法性を付与するものではなく依然同法第三条により準用される労働組合法第一条第二項の適用を受くるものであると解するのが相当であるから検察官の右の見解には賛同し難い」と判示し、山口地裁下関支部(三五・三・三〇国鉄下関併合事件)も本件第一審裁判所である松江地裁も、同旨の判断を示している。

(3)更に、直接公労法に対する判断ではないけれども最高裁判所のこの点に関連する判断とみられる昭和三〇年一〇月二六日政令二〇一号違反事件の判決(刑集九・一一・二三一三頁以下)は、「……もし本件昭和二三年政令二〇一号が制定施行されなかつたとすれば職員が右判示の如く何ら暴力等を用ることなく単に同盟罷業として多数共同してその職場を去りこれを放棄しその結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしてもそれは正当な行為として何ら罪となることはないのである。しかるに昭和二三年七月三一日本件昭和二三年政令第二〇一号が制定公布され、公務員が「国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為」をすることを禁止し処罰することとしたため本来ならば、処罰されることのない前記の如き共同職場放棄が右政令の禁止する「国又は地方公共団体の運営能率を阻害する争議行為」にあたるものとして処罰されるに至つたものである。

公務員が右の如き争議行為をなし、因つて国又は地方公共団体の業務を現に妨害した場合であつてもその公務員に対しては本件昭和二三年政令第二〇一号三条一項だけを適用し処断すれば足るのであつて、すなわち右政令第二〇一号は刑法第二三四条に対する特別法と解すべく更に刑法二三四条を適用処断すべきものではないと判示している。

右最高裁判所の判例が、一般法、特別法の観念を用いた趣旨は必ずしも明瞭ではないが検察官が主張しているように、政令二〇一号が刑法第二三四条の特別法であるから特別法である政令第二〇一号を以て問擬し、政令二〇一号がなくなつた場合は一般法である刑法各本条により処罰すべきだという趣旨で用いているものでないことは、判示の内容から一見明瞭であろう。即ち、「現業職員たる公務員等も旧労働組合法三条にいわゆる労働者として団結権、団体交渉権その他の団体行動をする権利を有するものとされているのであるから、もし本件昭和二三年政令第二〇一号が制定施行されなかつたとすれば……それは正当な行為として何ら罪となることはないのである。しかるに昭和二三年七月三一日、昭和二三年政令第二〇一号が制定公布され公務員が『国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為』をすることを禁止し、且つ処罰することとしたため本来ならば処罰されることのない……行為が、処罰されることになつたのである。」本来なら、一般法である刑法により処罰されるのであるが、特別法である政令二〇一号が制定公布されたのでこれによつて、処罰されることになつたというのではなくて、本来ならば正当な行為として何ら罪とならない行為がかかる行為をすることを禁止し、且、処罰することにしたため、処罰されることになつたものであるというのである。

だからかかる行為を『禁止し、且処罰する』規定が廃止失効になつた今日においては、何ら罪とならない正当な行為である旨の前記各下級審の判例と同趣旨の判断を示しているものということができる。

二、検察官引用の判例は、適切な判判でない、検察官が引用する福岡高等裁例所同裁判所宮崎支部、広島高等裁判所の各判例はいづれも、公労法違反の争議行為について労組法第一条第二項の刑事免責規定の適用があるかどうかについて直接且明確に判断を示しているものではない。

(1) 成程検察官が上告趣意書の中で述べているように、福岡高等裁判所の判例は「本件三割休暇斗争は結局列車運行に必要な車掌を休暇をとつたこととして出務させないで列車の運行を困難にしもつて列車ダイヤを混乱に陥入れ国鉄当局に打撃を与えることを狙いとしたものであり本件ピケラインは右休暇斗争に附随し、これを実効あらしめ統制施行するためになされたものでそのため車掌区に出務する車掌の車掌区えの入場阻止することを目的乃至任務としたものであるから、右休暇斗争は公労法第一七条により禁止された違法な争議行為に当り、従つて又本件ピケラインもこれに附随するものであるから違法なものというべきであり正当な説得行為と主張する所論には根拠なく左袒できないと判示し、且又、本来同条(鉄道営業法第四二条第一項第三号)は原判決も説示するとおりみだりに鉄道地内等に立入つた者その他鉄道の秩序をみだす所為のあつた者を鉄道地内より退去させることにより鉄道業務の円滑な運行を確保しようとするものと解されるので現に職につきその他正当の理由を有する鉄道職員がこれに含まれないのは当然であるけれども、鉄道職員といえどもその職務とは関係なく而も不法な目的で鉄道地内等に立入りその他同条違反の所為があつた場合はこれを排除すべき必要のあること一般旅客公衆と何ら異るところなく「旅客公衆」に当ると解するのが相当であると判示している。但し、福岡高裁のこの判例は右に引用した判決内容からも明らかなように三割休暇斗争並にこれに附随するピケットラインが公労法第一七条に違反する争議行為に該当するかどうかを論じてこれに該当するものと判断し該当する以上公労法第一七条の争議行為の禁止規定に違反するからそのかぎりにおいてこれは、違法な行為であると述べ、このような不法な目的で鉄道地内等に立入つた場合は旅客公衆と何ら異るところがないと述べ鉄道営業法第四二条にいう鉄道公安職員が退去強制することができる、客体に当ると判断しているにすぎない。

従つて公労法の争議行為禁止の規定に違反する行為が正当ではないといつてもそれが公労法上違法行為であると述べていることは間違いないとしても刑事上も違法行為であるとし処罰の対象とするとしているのかどうかまでは、何らの判断を示していない判例という外はない。だから検察官の「右はこれら公共企業体職員の争議行為は公労法第一七条に違反する違法のものであると判断したものであるからかかる公労法の規定に違反する行為は正当でなく労組法第一条第二項の適用の余地なきものとしたものと解される」ということにはならずそれをそうだとする検察官の主張は全くの独断である。

(2) 次に福岡高等裁判所宮崎支部の判決は、「これら一連の行動は禁止された争議行為であり所論の如く正当な組合活動といえないことは勿論であるのみならず被告人らはいずれも米初次郎に対し暴行を加えたものであるから原判決が被告人らの行為に対して公労法第三条労組法第一条第二項(等)を適用しなかつたのは当然である。」と判示更に、広島高等裁判所の判決は「たとえ本件職場集会が違法でないとしても右集会に不参加を表明し参加を肯じない組合員に対し暴力的に連行するような所為が正当といわれる理由は毫もないのである。」と判示しているがその判示の内容から窺れるように被告人らの「暴行」「暴力的な連行」行為は違法であるという点に力点をおいて理由ずけをしているにすぎず公労法第一七条に違反する争議行為について、刑事免責規定の適用があるかどうかという点については直接判断を示しているものではない。仮りに検察官が引用主張するようにとれるとしても深い理論的解明がなされている判例ではない。

三、以上のとおり検察官が主張する各高等裁判所の判例は、公労法第一七条違反の争議行為についてその目的、手段、方法、態様の如何を問わず、一切刑事免責規定の適用はないという判例としては適切な判例ではない。これに比較し、前に引用した公労法第一七条違反の争議行為も決して刑事免責規定の適用を失うものではないとの判断を示した判例は直接且詳細にわたつておつて、適切な判例といえる。

いずれにしても検察官が主張する趣旨の判例は確定的でなくむしろ前記最高裁判所の判例をはじめ、各判例に背反するものである。

第三、検察官の公労法一七条、労組法第一条第二項についての法律解釈は、明らかに誤りである。

一、公務員も労働者であり、いわゆる団結権を有するものでそれが制限されるに至つたものである。公務員にはいわゆる団結権はないとの検察官の主張は根本的に誤謬である。

(1) 「公務員は労働者かどうか」という問題についてはかつてドイツの労働法学界においてカスケルとジンツハイマーとの間で争われたところであり、カスケルは「官吏は使用者としての国家に対してなんらの労働関係に立つものではなく国家の機関そのものでありしたがつてみずから奉仕する国家の一部を自己の人格のうちに現わしあたかも国家以外の法人の理事のように国家という抽象的法人の具体的現象形態を形成するものである」と主張したのに対しジンツハイマーは「労働保護の必要が真実に官吏関係のうちにあるならば法律制度の外見的、概念的不能はそのさまたげとなるわけはない。概念は生活にしたがうべきであつて生活が概念にしたがうべきではない。」と論駁しそれによつて解決をみているところである。

(2) 日本国憲法も亦その第二五条において「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めて「すべての国民」に生存権を保障しその手段として憲法第二八条が「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動する権利はこれを保障する」と定めて労働者の団結権を明確に保障することになつた。

而して公務員といえども国民として生存権を保障されているものであることについては、論ずるまでもないところでありそのための手段として憲法第二八条が団結権を保障する「勤労者」の中に公務員が含まれることも全然異論がないわけではないけれどもすでに学説判例上解決をみている問題である。

(3) わが法制上も旧労働組合法、労働関係調整法、労働基準法が「公務員も労働者である」ことを肯定し、かつて公務員にもいわゆる団結権を認めた。

その後昭和二三年七月三一日の政令第二〇一号は公務員の労働組合から団体交渉権と争議権を剥奪し、それに次ぐ国家公務員法の改正は国家公務員に対して労働三法の適用を除外し労働基本権を制限禁止するに至つた。しかしその場合でも国有鉄道、専売事業の公共企業体職員については「公共企業体労働関係法」を制定してこれを適用することとし、昭和二七年七月の公労法改正では五現業の国家公務員に公労法を適用することとした。

(4) 而して、公務員の労働基本権が制限禁止されるに至つたことについて学説は或いはこれを違憲とし、成いは「公共の福祉」のために制限を受けるのはやむをえないものであるとし或いは公務員が全体の奉仕者たる性質に基き制約を受けることのあるのはやむをえないところであるとしている。

最高裁判所の判例も(刑集九巻一一号二三一三頁以下)「本件当時においては国有鉄道の職員たる機関士、機関助手等は国家公務員であつたのであるが右の如き現業職員たる公務員等も旧労働組合法三条にいわゆる労働者として団結権、団体交渉権その他の団体行動権を有するものとされていたのであるから、もし本件昭和二三年政令第二〇一号が制定施行されなかつたとすれば、職員が右判示の如く何ら暴力等を用うることなく単に同盟罷業として多数共同してその職場を去りこれを放棄し、その結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしてもそれは正当な行為として何ら罪となることはないのである。」と判示し又昭和二八年四月八日最高裁大法廷の判決(刑集第七巻第四号七七五頁以下)はその少数意見(公務員は憲法第二八条の労働者ではない。)を排して

「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及団体交渉その他団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已むをえないところである。殊に国家公務員は国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し且つ職務の遂行に当つては全力をあげてこれに専念しなければならない性質のものであるから団結権、団体交渉権等についても一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である」旨判示している。

これら学説判例は、公務員は憲法第二八条の労働者ではなく、従つて労働基本権はないといつているのではない。いずれもその前提において、公務員にも憲法第二八条の保障する労働基本権があることを認め、ただ、公共の福祉の観点から或いは全体の奉仕者としての性格付けからそれが制限を受ける場合があることはやむをえないといつているのである。

検察官は「公務員の勤務状態は単に公共の利益つまりは公共の福祉に反しさえしなれば差支ないというが如き消極的な性格に止ることは許されずむしろ公共の利益の実現つまり公共の福祉の援護に更にはその増進にも努めなければならないという積極的性格を有つことを意味することに留意する要がある。」だから「名は団結権、団体交渉権といつても実は本来の団結権、団体交渉権ではなく、従つて公務員には争議権は無論のことかかる団結権、団体交渉権は右の日本国憲法第一五条第二項の規定の厳存することにより認められていない」「だが……かかる職員中特定の職種のものについては法律の規定をもつて国家公務員法や地方公務員法におけると異なり、すなわち全体の奉仕者たる性質に反しない限度において争議権の裏付けのない特殊のいわゆる団体交渉権や団結権の如きものを認めることはできるが、それは法律の規定が特にかかるいわゆる権利を附与した結果に外ならない」と主張する。

(5) かかる検察官の主張が明らかに前記法制上の沿革や確定的な学説判例に違反するばかりか、かかる見解に従えば日本国憲法が制定施行されてから政令第二〇一号が公務員の争議権等を制限禁止するに至る間の国家公務員の団結権、団体交渉権、団体行動権を容認した法律、判例はすべて誤りということになる。従つて検察官の見解は、この点からも到底容認できるものでないことは明かである。

而して、かかる論拠から出発した検察官の本件上告趣意に示した法律解釈はそのはじめにおいてすでに根本的な誤謬を犯しているものである。

二、公労法第一七条の公共企業体等職員の争議行為禁止の規定はこれに違反した場合民事罰をうけるだけで、刑事罰からは解放されていると解するのが正当な解釈である。

(1) 公共企業体等職員の団結権は、前にも述べたように、「公共の福祉のために」或いは「全体の奉仕者」として制限をうける場合があるとして、昭和二三年七月三一日の政令第二〇一号が公務員の団体交渉権争議権を禁止しこれに違反する行為を処罰することとし、改正国家公務員法が労働立法等の適用を除外して労働基本権を大幅に制限禁止することとした。

その後昭和二七年七月独立を機会に現業の国家公務員にも公労法を適用することとし、これによつて現業の国家公務員にも団体交渉権を認めることにしたが、争議権は公労法第一七条によつて禁止されることとなつた。

然し、現業国家公務員にも適用することとした公労法は、政令第二〇一号が争議行為を禁止しこの禁止に違反した場合は、処罰するとの処罰規定をおいたのに反し何ら処罰規定をおいていないという点に注目する必要がある。

(2) 抑もいかなる国においても当社は、ストライキのみならず、団結そのものも犯罪とされ禁止されたのである。イギリスにおける、一七九九年ないし一八〇〇年の団結禁止法」「集会結社取締法」等数多くの法律がそれである、「団結禁止法」は一切の団結並に斗争手段としてのストライキやピケを刑罰(禁錮)によつて禁止しただけでなくストライキ手当の支給や法律違反として処罰された者の生活費をカンパすることをも同じように禁止した。このように厳しい刑罰を「血まみれの裁判官」は労働運動が生れ落ちると共にそれに打ち消しがたい「違法」の烙印を押しつけたのである。

しかし労働者が一世紀にわたつて「幾多の試練に堪え」斗い努力することによつて、遂に団結は一八七一年の労働法によつてもはや犯罪として処罰されることはなくなり更に、一八七五年には、これが整備されて「労働争議の企画又は促進を目的とする行為をなし又為さしめるため二人又は二人以上の者が協定又は団結を為すも其の行為が一人に依り為された場合に於て犯罪として処罰せられざるものなる限り共謀犯として訴追されることなし」として団結権、団体行動権は、ここに刑事罰から解放されるところとなつたのである。

しかしそのことは同時に民事罰からの解放を意味するものではなかつた。ストライキが犯罪として処罰されることはなくなつても争議によつて蒙つた資本家の損害賠償を裁判所は認めたのである。

どこの国でも団結に対する民事上の損害賠償からの解放は刑事罰からの解放より遅れているが第一次大戦前後までには団結に対する刑事罰並に民事上の賠償からの解放措置は完了したといつてよい。特にアメリカでは一九三五年のワグナー法は団結権の保障が公共の福祉であるという見地からストライキを理由に解雇することを不当労働行為として禁止するという措置をとるに至つた。

このようにして団体行動権の内容は(1)刑事罰からの解放、(2)民事上の損害賠償からの解放、(3)解雇その他不利益な取扱いからの解放――不当労働行為の禁止というところまで発展していつた。しかしその後イギリスの一九二七年「労働争議及び労働組合法」は団体行動権に対する新な制限として大規模、同情スト、政治ストを禁止したばかりか公務員の団結権、争議権にも制限を加えたが第二次大戦後悪名高き公務員のストライキを禁止した一九二七年法は撤廃され今日イギリスでは公務員を含めて広く団体行動権の解放が認められていると解されている。

この点アメリカの一九四七年タフト・ハートレー法は「合衆国により又は政府が完全な所有権をもつ法人を含む合衆国のすべての機関により雇用される者が同盟罷業に参加することは、これを違法とする。

合衆国又はこれらの機関に雇用される者が同盟罷業を行つたときはその者は直ちに解雇され文官の身分を持つ場合にはそれを喪失し三年間は合衆国又はこれらの機関に再雇用される資格を失うものとする」と規定しているが日本の国家公務員法のようにストライキを犯罰とはしてない。

このようにイギリスにおいても(但しヨーロッパでは法律上解雇を禁止するという不当労働行為は存在しないが)アメリカにおいても国家公務員の団体行動権も広く解放が認められており、刑事罰からは完全に解放されているのである。

右に述べた労働者の団体行動権確立の歴史は他の諸国においても時期やあらわれ方の相違はあつても多かれ少かれ共通の運命を示し、わが国においても明治三三年の治安警察法によつて就中同法第一七条が同盟罷業の「誘惑」「煽動」を犯罪として処罰する規定を設け刑罰によつて団体行動を禁圧することとした。しかし第一次大戦後治安警察法第一七条は遂に廃止されるに至つたしかしなお各府県警察規則、暴力行為等処罰法等による「刑罰」時代でありましてや民事罰からの解放を意味するものではなかつた。

第二次大戦後漸くわが国においても郵便職員などの現業公務員や教育公務員を含めて労働者の団体行動権は、ひろく刑事罰から解放され、民事上の損害賠償からも解放され、更には解雇その他不利益な取扱いからも解放されるところとなつたのであるが前にも述べたように占領中の異例的措置として、政令第二〇一号により国家公務員の争議行為を禁止処罰することにし、ついで改正国家公務員法もすべてこれを禁止し処罰することとしたが占領後現業公務員には公共企業体等労働関係法を適用して争議行為を禁止し禁止条項違反に対する罰則は設けなかつた。只「規定に違反する行為をした職員は解雇されるものとする」としたのである、そし公共企業体労働関係法の制定に当つては法務府調査意見局が国際労働常識の見地に立つてストライキの刑事上の違法性には強く反対しその結果郵政職員を含む公企体職員のストライキに対する刑罰化はできなかつたとされている。(末弘厳太郎「労働法研究」片岡昇「団体行動権確立の歴史」松岡三郎「島根地裁杉山事件鑑定書」参照)

(3) 以上の我国における団体行動権に対する処罰解放そして新なる制限とその撤廃の歴史は全く諸外国の団体行動権確立の歴史と軌を一にするものであり、今日公労法が現業国家公務員を含めた公企体等の職員の争議行為を禁止しているのはアメリカのタフト・ハートレー法が国家公務員のストライキを禁止したけれども禁止に違反した場合解雇その他の不利益な取扱からは解放されないことを規定したにとどまり犯罪としているものでないことに照応しているもので公労法も禁止規定に違反した場合の処罰規定を設けずその意味では刑事罰からは解放されていると考えるのがまさに正当な解釈である。このことはヨーロッパにおける国家公務員のストライキが少くとも刑事面においては違法とされていないことにも全く照応し団体行動権確立の沿革からしても又我が法律制度上の沿革にもそく応する正しい解釈であろう。

三、検察官の公労法に違反する争議行為は刑事上も明らかに違法であるとの主張は違法性の概念の解明を無意味にし違法性の概念を強固させているだけで誤れる解釈である。

(1) 公労法違反の争議行為が直ちに刑事上違法となるものでないことは法理論上も正当である。法律上ある種の争議行為が制限禁止されている場合は多い。例えば国又は地方公共団体の職員については争議行為を企て実行しまたは共謀煽動する行為が全面的に禁止されており(国家公務員法第九八条第五項、第一一〇条一七号、地方公務員法第三七条第一項、第六一条第四号、公共企業体等労働関係法第一七条一項、地方公営業労働関係法第一一条第一項)民間企業でも電気産業および石炭鉱業についてそれぞれ電気の正常な供給を停止しまたは電気の供給に直接障害を生ぜしめる行為炭鉱の保安放棄が禁止され(電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律第二条第三条)そのほか一般的に工場事業場における安全保持の施設の正常な維持又は運行を停廃し又はこれを妨げる行為の禁止(労働関係調整法第三六条)公益事業における抜打争議行為、緊急調整中の争議行為の禁止(同法第三七条、三八条等)がある。

そしてこれらの諸規定に違反してなされた争議行為が違法とされその違法者に対して罰則が規定されているときにそれによつて処罰されることになるのは勿論であるとされているが、これら法律違反の争議行為についてそれが法律違反で違法であるとの故を以て正当な争議行為ではなくなり、刑法第三五条の適用がなくなつて刑法等の犯罪構成要件を充足する場合には刑法上も処罰されることになるのかという点は法理上重要な問題点である違反行為に直接罰則が規定されていない本件の公労法やスト規制法の場合には特にそれが問題となる。

(2) この点については法律の概念は相対的なものであることから違法性の概念も亦相対的なものであり多面的なものであるということに着目しなければならない検察官が引用する広島高等裁判所の「そもそも右組合法所定の免責規定は「正当」な組合活動についてのみ許容されるもので明らかな法規違反の行為についてまで適用されるものではない」という判例や検察官の「以上要するに公務員については勿論、公共企業体職員についても争議行為は一般的に禁止され争議権を全く否定されているのであるからかかる者の争議行為は、争議権を有つ民間労働者の場合と異りその争議行為の正当性如何は当初から問題とならず、従つて民事上の免責規定のみならずいわゆる刑事上の免責規定の適用の余地はないという程簡単ではなくかかる単純な主張では法理論上の解明にはなつておらず理由付けにもなつていない。問に対するに問を以て答えているにすぎないものというべく問題とならないのである。

凡そ一個の行為に対しても価値観客の規準を異にするときはその数だけその評価が可解なのであつて例えば医者でない者が医療行為として外科手術を行つた場合その行為は無免許という点では医師法違反の違法な行為であるが刑法上は医療行為としての性質を失わないかぎり合法的な行為であつて傷害罪により処罰されることはないと解されている。

同様に前記争議行為の制限禁止規定のもつ違法性の実質的内容と刑法ないし特別刑法のもつ違法性との内容が同一の性質のものであるかどうか、要するに両者の保護法益を考えなければならない。

両者がくいちがつている場合は特別の禁止規定によつて違法とされる行為であつても刑法の当該規定に対する関係では合法であつて刑法上の犯罪を構成しないものと考えるべきである公企体の職員がストライキを実行した場合公労法第一七条に違反して違法であるが当該行為が刑法により業務妨害罪として処罰されるかというと公労法の趣旨は一般利用者の保護にあり刑法業務妨害罪の規定は企業主体の企業活動の保護を主眼としているのであるから公労法違反の効果は公労法の枠内にとどまり刑法によつて処罰されるものではないと解すべきである。(藤木英雄「労働刑法における違法性の概念」)

前に述べた最高裁判決(刑集九・一一・二三一三号)が「……もし本件昭和二三年政令二〇一号が制定施行されなかつたとすれば右鉄道職員が右判示の如く何ら暴力等を用うることなく単に同盟罷業として多数共同してその職場を去り、これを放棄し、その結果国有鉄道の業務を妨害するに至つたとしてもそれは正当な行為として何ら罪となることはないのである。しかるに昭和二三年七月三一日本件昭和二三年政令二〇一号が制定公布され即日施行され公務員が「国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議行為」をすることを禁止し処罰することとしたため、本来ならば処罰されることのない前記の如き共同職場放棄が右政令の禁止する「国又は地方公共団体の業務の運営の能率を阻害する争議行為」にあたるものとして処罰されるに至つたのである。

そして右の如き争議行為をすればその国又は公共団体の業務が妨害される虞れがあることは言を俟たないところであるから公務員が右の如き争議行為をなし因つて国又は地方公共団体の業務を現に妨害した場合であつてもその公務員に対しては本件政令二〇一号三条、二条一項だけを適用し、処断すれば足るのであつてすなわち右政令第二〇一号は刑法第二三四条に対する特別法と解すべく更に刑法第二三四条を適用処断すべきものではない」といつているのも、違法性の質的な相違その相対性に着目してかかる判断を示しているものと考えられる、つまり政令二〇一号に違反して処罰さるべきであるが業務妨害罪を適用すべきでないというのである。この点に関して横浜地裁(昭和二五、一〇、三〇最高刑集八巻一三号二一九〇頁以下)は次の如く明快なる論理を展開してこのことを判示している「それぞれの法令はその負わされた任務の解決を主要な課題とするものであるからその解釈にあたつてはこの主要な課題こそ重視せらるべきこと当然で、これを看過することは法令制定の目的から遠ざかる虞れがある同じ用語で表わされていても法令の異る事によつてその解釈が違うことがあることや、或る行政法規より見て違法な行為が他の行政法規の観点からは問題とされないというような事例は日常容易に発見せられるところである。従つて威力業務妨害罪の威力を違法な威力と解すべきは勿論としてもその意味はまず刑法自体において確定すべきであり他の法令違反であるからといつてその違法性を刑法の違法と同一に考え直ちにこれに当ると解すべきことにはならないのである刑法犯は別に自然犯といわれる通りその違法性は行政的な規整を離れた人と人との自然的な秩序の破壊を意味する反道義性乃至は反常規性に求められるのが普通である。それは法令によつて禁止せられたが故に反道義的なものとなるというのではなくそうした禁止の有無に拘らず既に社会の道義意識に照し価値否定の判断をうくべき性質のものである。

これに反し行政法規違反の所為はそれが刑罰(行政刑罰)を以て禁止せられる程重要なものであつても社会の道義を以てすれば当然には反道義的とはせられない。この原則は刑法犯の解釈にあたり特に重要である。業務妨害罪における威力の意味を決定する違法についても前記と同様に考えるべきでありもしこれをそうでないと解すると或行政法規によつて社会の道義意識に関係なく或る行為を禁止したのが直ちに刑法に定める違法な威力の中に包含せられてくることになる。

かようなことを容認することは刑法犯の前記基本的な性格と矛盾し著しく行政的なものとするものであつて、行政法規の禁止規定がそのような重大な影響を及ぼしてよい理由は多く発見できないであらう」と。まさに正当な理論的解明といえよう。

(3) ところで検察官はこの点に関し「つまり違法性は全法律秩序からする行為の無価値又は反価値の判断でかかる法律秩序の目的に反することをいうもので」「全法律秩序とは端的に申せば公共の福祉の維持ないし増進を図るために存在する秩序である従つて、全法律秩序は公共の福祉の維持ないし増進を図ることを目的とするものである。」「ところで公労法の目的は「公共の福祉の維持ないし増進をはかる」という全法律秩序の目的と合致するものであるから」「この公労法の目的(全法律秩序の目的)に違反する行為は正当でなく……かかる争議行為等が公労法第一七条に違反するからはじめて正当でないとされるのではない」「従つて公共企業体の職員が同盟罷業その他争議行為を実行することは、公労法第一七条に違反するものであることは勿論であるがその違法であることは既に明らかであつてこれを正当視するに由なく労組法第一条第二項のいわゆる刑事上の免責を受け得る余地なきものと申さねばならない」ということになると述べている。そして最高裁判所の昭和二五年一一月一五日大法廷判決(刑集八巻第一一号二二六三頁)の「如何なる争議行為を以て正当とするかは具体的に個々の争議につき争議の目的並に争議手段としての各個の行為の両面に亘つて現行法秩序全体との関連において決すべきである。」との言葉を引用しているが右最高裁判所の判例は生産管理についての正当性を云為するに当つて争議権と財産権との調和点を争議権行使の正当性の限界なのだということを述べるのに「現行法秩序全体との関連」という用語を用いたのであつて検察官が述べている様な意味でつまり全法律秩序とは、公共の福祉の維持乃至増進を目的とするものであるから全法律秩序に違反するものはすべて刑事上違法になるのだということを述べているものではない。単に判例の片言双句を引用したにすぎないといえる。

検察官がかかる立論をなす根源をなすものは前にも述べた様に公務員は労働者ではなく憲法第二八条の労働基本権はなく只職種の内容からいつて特殊の現業公務員には、全体の奉仕者たる性質に反しない限度において特殊の団体交渉権や団結権を公労法が附与したものである。憲法第二八条によつて保障される争議権は、現業公務員についてももとより認められておらず公労法第一七条がこれを禁止したのではなくて公労法第一七条は争議権が認められていないことを単に示認宣言したにすぎない、従つて本来認められていない争議権を行使するということは権利の行使でなく、いかなる意味においても違法だということにあるものと推測される。

この立論の出発がすでに法律制度の沿革確定された学説判例に違反して到底容認できるものでないことはすでに述べたところであり憲法第二八条は現業公務員についても争議権を保障したのであるが「公共の福祉」のために又は「国民全体の奉仕者」として公共の利益のため勤務するためにやむをえず制限したとされているものであることについてもさきに述べたところでその制限に違反する行為が可罰的な違法なものであるかどうかは刑事法上の観点から別個に判断すべきである。

検察官の「全法律秩序とは公共福祉の維持増進を目的とするものであるから……」ということになればひつきよう法律は公共の福祉の維持増進を目的とするもので法令違反の行為はすべて可罰的違法な行為という結論になり国家公務員法第九八条第五項前段の争議行為禁止の規定に違反しても刑事上処罰されないのに公労法第一七条違反の争議行為は刑事上処罰されることになり反面国家公務員法第九八条第五項後段の共謀、あおり、そそのかしは刑事上処罰されるのに公労法第一七条違反の共謀、あおり、そそのかしは処罰されない、そして「いわゆる現業業務は国の私法又は行政の事務とは性格等を異にする点にかんがみ国家公務員法や地方公務員法の如く刑法の規定をもつて賄い得ない実行々為の前段階に属する共謀、あおり、そそのかしの如き行為に至つては(公共の福祉の維持増進を侵害する全法律秩序違反の違法な行為なのであるけれども)犯罪として処罰するまでもないとして立法者は特に公労法に罰則規定を設けなかつたものと解する……のに何の不自然もなく又不合理も存しない」どころかかかる矛盾となるのである。全法律秩序違反即ち公共の福祉の維持、増進を侵害することが違法であるということであれば同じかかる法益を侵害する違法な行為は同じように可罰的であるべきである。一方を処罰する必要があり他方は処罰するまでもないとした点にこそ問題があるのである。

以上のとおり検察官の立論は違法性についての理論的解明を無意味なものとし概念の混淆を招くばかりか、理論的解明に乏しく到底容認できるものではなく従つて検察官の公労法第一七条、労組法第一条二項の解釈は正当なものということはできない。

四、検察官の公労法違反の争議行為については刑罰を課すべきであるとの主張は日本国憲法や国際労働法に違反する誤つた主張である。

(1) 国際労働機関憲章は「世界の永続する平和は社会正義を基礎としてのみ確立することができるからそして世界の平和及び協調が危くされるほど大きな社会不安を起すような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件が存在し且つこれらの労働条件を……改善することが急務であるから、またいずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから締約国は正義及び人道の感情と世界の恒久平和を確保する希望とに促されて且つこの前に掲げた目的を達成するために次の国際労働機関憲章に同意する」と宣言し日本国憲法もその前文で「われらは平和を維持し専制と隷従圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定して右国際労働憲章と軌を一にする崇高な宣言をなしている。

されば憲法第二八条の労働基本権も労働諸立法の解釈も日本国憲法や国際労働機関憲章が宣言した嵩高な精神に立脚して正当になされなければならないので学説、判例の片言双句を捉えてこれに拠つたり刑法上の一派の理論によつて労働諸立法の解釈をなすことは本末転倒であつて正しい解釈の態度ではないところでILO一〇五号(強制労働の廃止に関する条約)はILO八七号に続いてわが国が批准しなければならない条約であるがこの条約は政治活動の制裁として労働規律の手段として、ストに関与したことに対する制裁として強制労働を課することを禁止するのであるが刑罰をもつて労働を強いることは強制労働に外ならないので許されないものである。日本国憲法第一八条も「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。又犯罪による処罰の場合を除いてはその意に反する苦役に服させられない」と規定しているがこの規定も同様の精神を意味するものと理解される。

もし働かないということが刑事上違法とくに犯罪ということになれば国家権力が働くことを強制することになり強制労働になるであろう。

この様に公労法第一七条が集団で業務を放棄すること即ち争議行為をなすことを禁止したとしてもそれに違反した行為について解雇その他不利益処分をうけ民事上の免責規定の適用をうけることがなくなるというにとどまらず刑事上違法な行為として刑罰を以て処断すべきだと解することは国際労働法や憲法第一八条の精神に背反する誤れる解釈である。

この点からみても検察官の主張は労働運動を取締るのに急な余り労働法の精神を理解しない不当な主張にすぎず承服できるものではない。

第四、(結 論)

以上のとおり検察官の主張は学説、判例、我国の法制、団体行動権確立の沿革、更には国際労働法等いかなる観点からするも全く独自の見解にすぎず誤つた主張であつて到底容認できるものではない。

検察官はこの答弁書の冒頭にも述べたとおり原判決がほぼ確定された高等裁判所の判例に違反し公労法第一七条、労組法第一条第二項の解釈を誤りひいてはそれが本件被告人に対する量刑に必然的に影響しているから、上告する旨主張しているのであるが、原判決は結するところ本件被告人の行動は公労法第一七条に違反する争議行為について刑事免責の規定の適用があるかどうかに拘らず組合活動として許される正当な範囲を逸脱しているのであるから違法であると判断し処断しているので公労法第一七条の解釈は本件については直接関係ない。原判決が傍論として述べた公労法第一七条についての解釈を捉えて公労法第一七条についてかかる見解を維持する裁判所の判断であるから量刑又その点を斟酌したであらうということを推測主張しているにすぎない所詮検察官の本件上告の趣意は量刑不当を主張しているにすぎないので量刑不当は絶対的上告理由でなく又本件において破棄されなければ著るしく正義に反するものとも認められない。

検察官の主張にして労働争議行為に対して常に刑罰を課さんとする憲法や国際労働法、法律制度上の沿革に逆向する明かに誤れる見解をその理由とするにおいておや検察官の本件上告は理由がない。

検察官野村佐太男の上告趣意

右被告人に対する公務執行妨害、傷害被告事件につき、広島高等裁判所松江支部が、昭和三六年一二月一八日言い渡した判決は、刑事訴訟法第四〇五条第三号に該当する事由があり、従つて右判決は同法第四一〇条第一項により破棄されるべきものと思料し、昭和三六年一二月二九日上告を申し立てたが、その理由は左記のとおりである。

第一、上告の趣意

原判決は、公共企業体等労働関係法第一七条に違反してなされる「公共企業体等」の職員の争議行為に対し、労働組合法第一条第二項の適用がある旨を判示したが、この判示はこれらの条項の法律解釈において(イ)昭和三五年三月二日福岡高等裁判所が被告人松隈、同渡辺英生の両名に対する公務執行妨害被告事件に関し判示した判例、(ロ)同年一月一二日同裁判所宮崎支部が被告人浜島次男、同下満一典、同浜田吉之助の三名に対する公務執行妨害被告事件に関し判示した判例及び(ハ)同三六年一一月六日広島高等裁判所が被告人田中幸助、同松原房志、同石田恭一、同重村諄次の四名に対する公務執行妨害被告事件に関し判示した判例に相反し且つその法律解釈を誤つているものであつて、しかもこの判例違反の点は、刑事訴訟法第四〇五条第三号の上告事由に該当するとともに、かく判例に違反して法律解釈を誤つたことは、ひいては被告人に対する量刑に斟酌、されるべき犯罪の情状の認定に必然的に影響を及ぼし、ために量刑甚だしく不当な結果を招来している。よつて、同法第四一〇条第一項により破棄されるべきものと思料する。以下その理由を述べる。

第二、原判決が公共企業体等労働関係法第一七条違反の争議行為に労働組合法第一条第二項の適用ありとした判断の内容

原判決は、第一審判決に対する弁護人の控訴を理由がないとして棄却し、検察官の控訴を認めて、第一審判決を破棄した上、被告人長光義郎に対し懲役四月に処し、一年間刑の執行を猶予したものであるが(求刑懲役六月)、その判断の前提として、公共企業体等労働関係法(以下公労法という)第一七条に違反してなされる「公共企業体等」の職員の争議行為に労働組合法(以下労組法という)第一条第二項の適用ある旨の第一審判決の判示を維持してその判断を示したものである。この判断は次のとおりである。

「論旨は、原判決が被告人の本件行動を労働組合活動の正当行為と認定しなかつたのは事実を誤認し、労働組合法第一条第二項、刑法第三五条の適用を誤つたものである。本件においては組合幹部は労働条件を一方的に強化するような持ち戻り郵便物の本務者への配達強要を止めるよう交渉するために、フアイバーの傍で待機したのであつて、郵便物を実力支配下においてこれが引渡しを拒否し、その配達を阻止するために管理者側の奪回行動を阻止したのではない。ところが右持ち戻り郵便物の存在を発見した千代延郵便課長は、組合の話合い(団交)の申入れにも一切耳を傾けず、官側を総動員して実力行使に出たものであり、それは組合幹部に対する実力による挑発行為である。そこで組合幹部三名及び後刻加わつた被告人は、官側の右違法な、圧倒的多数者による集団的実力行使、挑発行為をフアイバーの前で制止して話し合いを求めたに過ぎない。右制止行為は官側の積極的な挑発的集団行動を止める限度における、受動的制止的、物理力の行使に過ぎないのである。郵政職員をもつて組織する全逓信労働組合が公共企業体等労働関係法(以下公労法と略称す)の適用を受けることはいうまでもないが、公労法第一七条が争議行為を禁止しているとはいえ、それは同法第一八条の措置を受ける意味において禁止しているに過ぎず、憲法第二八条が勤労者に保障する団体行動権を、全面的に剥奪しているものではなく、公労法適用組合においても、その争議行為をも含め組合の正当な行動については、労働組合法第一条第二項のいわゆる刑事免責規定の適用を受けるのである。従つて被告人の右の如き行動は、労働組合の正当な行動であり、刑事免責を受けるものであるというのである。よつて考えるに、公労法第一七条が、公共企業体等の職員及びその組合に対し争議行為を禁止しているのは、本来正当なるべき争議行為を公共の福祉を保護するという特別の理由によつて制限しているのに過ぎないのであるから、かかる制限がなければ正当なものとして認容される限度に止まるような争議行為である限り、それは単に公労法による制裁を受けるに止まり、同法違反の争議行為であるからといつて、それが直に犯罪を構成するものということができないことは、所論のとおりである。けれども争議行為に附随して発生したものであつても、前記限度を逸脱した刑法所定の犯罪に該る行為に対しては、争議行為その他組合活動の故を以て、これを正当化すべき理由はないのである。しかして本件は、前記控訴の趣意第一点に対する判断において説示したとおり、被告人が、千代延郵便課長等に対し積極的に暴行を加えたものであるから、これをもつて労働組合活動の正当行為ということはできないのであつて、原判決が被告人の本件行為を、労働組合活動の正当行為と認定しなかつたのは相当であつて、原判決には、この点についても事実の誤認、法令の適用の誤りはない。論旨は理由がない。」

右に判示するところは、要するに公労法第一七条において「公共企業体等」の職員の争議行為を禁止しているのは、単に公共の福祉を保護するという理由によるに過ぎず、この禁止という「かかる制限がなければ正当なものとして認容される」ものであるから、かかる制限の存することによつて正当なものでなくなる、つまり正当性を失うのであるが、しかしかかる公労法の禁止に違反した効果としては、単に同法第一八条の制裁を受けるに止まること、そしてそれ以上に出でないから、直ちに犯罪を構成するということのできないことは弁護人の「所論のとおりである」としているのである。従つて右はこれらの職員の争議行為は公労法第一七条に違反し正当性を失うが、なおいわゆる刑事免責規定たる労組法第一条第二項の適用の余地があると判断しているものと解せざるを得ないのである。

第三、「公共企業体等」の職員の公労法第一七条に違反する争議行為は正当性を失い、従つていわゆる刑事免責規定たる労組法第一条第二項を適用する余地なきものであるにかかわらず、前叙の如くこれと異なる判断を示した原判決は各高等裁判所の判例に違反して法律解釈を誤つた違法のものであることについて

一、原判決が公共企業体等の職員の争議行為に労組法第一条第二項の適用の余地あるものとした判断は、屡次の各高等裁判所の判例に違反する。すなわち

1 まず、原判決の右の判断は(イ)福岡高等裁判所が昭和三三年(う)第一三九〇号、第一三九一号被告人松隈、同渡辺英生の両名に対する公務執行妨害被告事件について、昭和三五年三月二日になした判例(高等裁判所判例集第一三巻第二号一四九頁)に違反する。すなわち、福岡高等裁判所は、国鉄職員で国鉄労組門司地方本部副執行委員長である被告人松隈、同じく同地方本部北九州支部執行委員長である被告人渡辺英生の両名が、国鉄労組の昭和二九年の新賃金及び年末手当増額要求斗争第四波の一環としてなした三割休暇斗争について「右休暇斗争は国鉄業務の正常な運営を阻害するものというべきであるので、公共企業体等労働関係法第一七条により禁止された違法な争議行為に当り、従つて又本件ピケットラインもこれに附随するものであるから違法なものと言うべきであり、正当な説得行為と主張する所論には根拠なく左袒できない」と判示しているのである。

およそ、争議行為とは、同盟罷業、怠業、作業所閉鎖その他労働関係当事者が、その主張を貫撤することを目的として行なう行為及びこれに対抗する行為であつて、業務の正常な運営を阻害するものであるところ(労働関係調整法第七条)、福岡高等裁判所の右判示は、公示企業体である国鉄の職員は、公労法第一七条により争議行為を禁止されているものであり、従つて右禁止規定に違反してなされる争議行為は違法であると判断した上、弁護人の「本件ピケラインは、正当な団結権、団体行動権の行使又は言論の自由に基づく説得行為として正当であるから、鉄道営業法第三七条にいわゆる鉄道地内にみだりに立入りたるものに当らない。」という主張を却けたものである(高等裁判所判例集第一三巻第二号一六一頁)。右は、これらの公共企業体職員の争議行為は公労法第一七条に違反する違法のものであると判断したものであるから、かかる公労法の規定に違反する行為は正当でなく、労組法第一条第二項の適用の余地なきものとしたものと解される。しからば、原判決がこの点につきなした判断は、この高裁判例に違反しているものであることは明らかであると考える。

2 次に、原判決の右の判断は、(ロ)福岡高等裁判所宮崎支部が昭和三二年(う)第三九一号ないし第三九三号被告人浜島次男、同下満一典、同浜田吉之助の三名に対する公務執行妨害被告事件について、昭和三五年一月一二日になした判例(高等裁判所判例集第一三巻第一号一二三頁)にも違反する。すなわち、福岡高等裁判所宮崎支部は、国鉄の職員である国鉄労組鹿児島地方本部副執行委員長被告人浜島次男、同地方本部執行委員同下満一典及び全逓信従業員組合鹿児島東郵便局支部員同浜田吉之助の三名が、国鉄労組の前記斗争の一環としてなした三割休暇斗争について、弁護人の「国鉄職員の休暇斗争は正当な組合活動であり、被告人らの所為に対しては公共企業体等労働関係法第三条、労働組合法第一条第二項を適用すべきである」との主張に対し「公労法第一七条によると、公共企業体たる国鉄職員は争議行為を禁止されている(同上の合憲性については後記説示のとおりである)以上三割休暇斗争は正当な組合活動ではなく、争議行為として違法であると断定せざるを得ない。このような休暇斗争という争議行為自体が違法であり、しかも、これを強行するために統制の下に原判示のとおり、第一行動隊は車掌区事務室前にピケットラインを張り、当日入出区者の確認をなし、休暇割当職員の出勤を阻止し、当局その他のスト破りを阻止し、併せて外部単産の支援を指揮してピケの行動に参加させ、第二行動隊は第一行動隊の隣位置に集結し、列車発車の際は列車の出発地に移動し、運行停止の列車に代替要員を乗車させることを拒否すると同時に休暇実施による運行停止列車の運行停止を確認し、第三行動隊は、原則として定位置は第一行動隊の隣接地区とし、当局のスト破り、又は不当労働行為を阻止する、第四行動隊は当日の割当休暇の組合員を当局の業務命令が届かないよう一定場所に集合せしめ、或いは他へ移動し、勤務に就かせないよう説明指導するよう夫々任務についていたのである。これら一連の行動は禁止された争議行為であり、所論の如く正当な組合活動といえないことは勿論である」と判示しているのである(高等裁判所判例集第一三巻第一号一二七頁)。

この高裁判決もまた前掲(イ)の高裁判決と同じく、公労法第一七条に違反してなされる国鉄職員の争議行為は正当な組合活動ではなく、労組法第一条第二項の適用の余地のないことを示したものである。しからば、原判決のこの点に関する前叙の如き判断は明らかに右(ロ)の高裁判例にも違反するものである。

3 さらに、原判決の右の判断は、(ハ)広島高等裁判所が昭和三五年(う)第三七〇号被告人田中幸助、同松原房志、同石田恭一、同重村諄次の四名に対する公務執行妨害被告事件について昭和三六年一一月六日言い渡した判例にも違反する。

すなわち、広島高等裁判所は、国鉄の職員で国鉄労組広島地本周防支部副執行委員長被告人田中幸助、同支部執行委員同松原房志及び同石田恭一、同支部書記長同重村諄次の四名が同支部の昭和三二年七月一七日柳井駅において処分反対斗争の一環として行なつた争議行為としての職場集会について、弁護人から「職場大会が仮りに形式上公労法一七条の禁止に触れたとしても、職場大会それ自身は労組法一条二項、刑法第三五条の正当業務行為であつて、職場大会開催のための行動は決して刑事上違法な目的を追うものではない。」と主張したのに対し「しかしながら、本件は、職場集会の開催自体に関し被告人らの刑事上の責任を問うているものでないことは言うを俟たないのであつて、たとえ所論のとおり本件職場集会が違法でないとしても、右集会に不参加を表明し、参加を肯じない組合員に対し、暴力的に連行するような所為が正当といわれる理由は毫もないのである。即ち(イ)右集会は、国鉄当局の承認を得ることなく、午前七時頃から約三時間の勤務時間内に、大多数の組合員をして職務を放擲させて実施しようとしたものであることは、証拠上疑をいれないのであるから、かかる集会の開催により国鉄の業務の正常な運営が阻害されるであろうことは、経験則上殆どいうを俟たないところであつて、争議行為としての右集会が公労法第一七条に違反することは明らかである。(ロ)公労法第一七条に違反するからといつて、直ちに労働組合法第一条第二項の刑事上の免責がないとはいえないとする所論について考察するに、そもそも右組合法所定の免責規定は「正当な」組合活動についてのみ許容されるもので、明らかな法規違反の行為についてまで適用されるものとは解されず、本件集会が違法であることは前示のとおりである。」と判示しているのである。

この高裁判決もまた前掲(イ)及び(ロ)の各高裁判決と同じく、公労法第一七条に違反して為される国鉄職員の争議行為は正当性を失い違法であつて、労組法第一条第二項の適用の余地のないことを示したものである。しからば、原判決のこの点に関する前叙の判断は明らかに右(ハ)の判例にも違反するものである。

叙上のとおり、公労法第一七条に違反する争議行為に労組法第一条第二項を適用する余地ありやの点については、前掲(イ)福岡高等裁判所、(ロ)同裁判所宮崎支部及び(ハ)広島高等裁判所のすでに判例とし、しかもこれがほぼ確定され且つまたこの法律解釈は正当なものとして維持せられるべきものであるにかかわらず、原判決のこの点に関する判断はこれと異なり、これらの判例に違反するものといわねばならない。

二、次に原判決の右判断は、公労法第一七条及び労組法第一条第二項の解釈を誤つている。

1 国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、日本国憲法第二八条が保障する勤労者の団結権、団体交渉その他の権利といえども、公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないところである(日本国憲法第一二条、第一三条参照)。又、殊に公務員は「すべて」全体の奉仕者であつて一部の奉仕者でないことは日本国憲法第一五条第二項が新規に明定するところであつて、このことは、公務員のいわゆる労働関係は一般の労働者の如き使用者とのいわゆる労使対抗の関係ではなく、公務員のいわゆる労働関係の相手方たる使用者は政府たるの外観を呈するが、つまりは国民であつて、国民と公務員とは信託奉仕の関係にあることを示すものに外ならない(佐藤功著「憲法」(ポケット註釈全書)一二七頁以下参照)。それ故にこそ公務員は公共の利益のために勤務するものであり、且つ職務の執行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない性質を有するものであつて(国家公務員法第九六条第一項、地方公務員法第三〇条参照)、団結権、団体交渉等の権利につき特別の取扱を受けることのあるのは当然である。この点につき最高裁昭和二四年(れ)第六八五号、昭和二八年四月八日最高裁大法廷判決(刑集第七巻第四号七七五頁以下)は

「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である。従来の労働組合法又は労働関係調整法において非現業官吏が争議行為を禁止され、又警察官等が労働組合結成権を認められなかつたのはこの故である。」

と判示している。

しかも、このように公務員が全体の奉仕者たるものとせられるのは国家公務員たると地方公務員であるとを問わず、また現業職員であると非現業職員であるとを分たず(日本国憲法施行前の旧労働関係調整法第三八条が現業職員の争議権を認めており、その反対解釈として非現業職員には争議権なしとされていたのは後者のみにつき全体の奉仕者とされていたことによるものと解されることは前掲最高裁判決により明らかである)、すべての公務員に通じる性質であり例外の存しないことは右の日本国憲法第一五条の明文上明らかであつて、この点はかのワイマール憲法第一三〇条が公務員の中雇傭人等を除き官吏についてのみ全体の奉仕者なりと規定したのと大いに趣を異にしている。

しこうして、全体の奉仕者たる国家公務員の使用者はつまりは国民であつて、公務員の労働条件の決定も国民の意思従つて法律によつて決定されるわけであるから、かかる法律を制定する国会に対して公務員は争議行為をなし得る筈はなく(その法律の制定又は変更は立法への参加の形式によつてのみなされ得るといわねばならない。)、若し国家公務員が自己の要求貫徹のため政府に対して争議行為をするときは、それは一部の利益に奉仕することとなるほか政府の業務の正常な運営を阻害することとなり、政府が憲法上国民に対して負う信託関係に反するとともに国家公務員自身が国民に対して負う信託奉仕の関係を否認することとならざるを得ない(佐藤功前掲書一二九頁参照)。言い換えるならば、公務員が右の如く全体の奉仕者であること、つまり公共の利益のために勤務するものである性質を有するということは、公務員の勤務状態は単に公共の利益つまりは公共の福祉に反しさえしなければ差支ないというが如き消極的な性格に止まることは許されず、むしろ公共の利益の実現つまり公共の福祉の擁護に更にはその増進にも努めなければならないという積極的性格を有つことを意味することに留意する要がある。そうだとすれば、公務員が自己の要求貫徹のため争議行為をすること、そのことは、一般の勤労者の場合と異なり、かかる積極的性格に反することでありまた公共の利益を侵すこととなり許されないものであることは明らかである。しかも日本国憲法第二八条は勤労者の団結権、団体交渉権、争議権のいわゆる労働三権を保障するものといわれるが、本来この三権は不可分のものであり争議権を裏付けとしない団体交渉権や労使が対等の立場に立ついわゆる対抗関係を前提とする団体交渉権を伴わない団結権の如きは、本来無意味と解する学説(佐藤功前掲書一二九頁参照)が存在するほどであつて、名は団結権、団体交渉権といつても実は本来の団結権、団体交渉権ではなく、従つて公務員には争議権は無論のことかかる団結権団体交渉権は、右の日本国憲法第一五条第二項の規定の厳存することにより認められていないといわなければならない。この意味において国家公務員法及び地方公務員法が夫々一般職の職員につき日本国憲法第二八条を具体化した労働組合法及び労働関係調整法の適用を全面的に排除することを規定したのは至極当然のことである(国家公務員法附則第一六条、地方公務員法第五八条第一項参照)。この点につき最高裁昭和三五年(あ)第二八六〇号事件につき同裁判所第三小法廷昭和三七年一月二三日判決が

「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他国政の上で最大の尊重をすることを必要とするものであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないところである。ことに公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の執行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない(地方公務員法三〇条、国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権、団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然であること、―中略―は、すでに当裁判所の判例とするところであり(昭和二四年(れ)六八五号同二八年四月八日大法廷判決、刑集七巻四号七七五頁、―中略―)、地方公務員法五八条一項によれば、労働組合法は職員(本件においては、福島県教職員組合)に関しては適用されない旨を定めているから、労働組合法一条一項の規定も適用ないし準用はなく、また、地方公務員法五五条一項にいう交渉も、労働組合法において認められた団体交渉権でないことは明らかである。」

旨を判示していること、しかも特に地方公務員法の適用を受ける職員には労働組合法第一条第一項の規定は適用どころか準用すらもないことを判示しているのは叙上の趣旨を明示しているものと解される。

だが、他面において、かかる職員中特定の職種のものについては法律の規定をもつて国家公務員法や地方公務員法におけると異なり、すなわち全体の奉仕者たる性質に反しない限度において争議権の裏付けのない特殊のいわゆる団体交渉権や団結権の如きものを認めることはできるが、それは法律の規定が特にかかるいわゆる権利を附与した結果に外ならないのであつて、公労法すなわち公共企業体等労働関係法や地方公営企業労働関係法はその例である。しかしこのことの故にこのような特定の職種の公務員がなお全体の奉仕者たる性質を失う筋合のものではない。このことは現に公労法や地方公営企業法が夫々国家公務員法又は地方公務員法の諸規定の適用を排除しているにかかわらず、なお全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき旨等を規定する国家公務員法第九六条第一項及び地方公務員法第三〇条の規定の適用を排除せずその適用あることを肯定していること(公労法第四〇条、地方公営企業法第三九条参照)により明らかである。と同時にこれら特殊の職種の公務員についても争議行為の許されないことはこれまた当然であるといわねばならない。

しこうして、労組法第一条第二項のいわゆる刑事上の免責規定は犯罪構成要件に該当することを前提として、その行為が労働組合の正当なものである場合における違法性阻却を規定したものと解される。ところで違法性なるものは行為と全法律秩序との間の不均衡を示す関係である。つまり違法性は全法律秩序の見地からする行為の無価値又は反価値の判断であり、かかる法律秩序の目的に反することをいうものと解される。最高裁昭和二三年(れ)第一〇四九号山田鉱業吹田工場事件に対する昭和二五年一一月一五日大法廷判決もまた争議行為の正当性如何、逆にいえば違法性如何の判断と全法律秩序との関係について「如何なる争議行為を以て正当とするかは、(中略)争議の目的並びに争議手段としての各個の行為の両面に亘つて現行法秩序全体との関連において決すべきである。」(刑集第四巻第一一号二、二六三頁)という。しかるに、全法律秩序は、端的に申せば共同生活における公共の福祉の維持ないし増進をはかるために存在する秩序である(末川博「権利濫用の研究」二八四頁参照)。従つて全法律秩序は公共の福祉の維持ないし増進をはかることを目的とするものであるといい得る。

ところで公労法は第一条において「……慣行と手続とを確立することによつて公共企業体……の経営する企業の正常な運営を最大限に確保し、もつて公共の福祉を増進し、擁護することを目的とする」旨を規定するが、ここに「公共の福祉を増進し、擁護する」というこの法律の目的は、さきに述べた「公共の福祉の維持ないし増進をはかる」という全法律秩序の目的と合致するものであることに留意しなければならない。そして公労法は企業の正常な運営を最大限に確保することが公共の福祉を増進するという極めて積極的な目的から必要であるのみならず、公共の福祉を擁護するという幾分消極的な目的からしても必要であるとしていることは、第一条の規定自体により明らかである。公共の福祉の擁護を立法目的に謳うがごときことは、全体の奉仕者たる公務員の場合(憲法第一五条第二項)には、極めて当然であつて、いわずもがなのことであるが、厳格な意味において国家公務員でない公共企業体職員については、日本国有鉄道法等の法律によつて、公務員的性格を有するもの(最高裁昭和二五年(オ)第三〇九号昭和二九年九月一五日大法廷言渡判決、民集第八巻第九号一、六〇九頁以下参照)とされている意味において、特に念のため法文上公共の福祉の擁護を明示したものと解される(未だいわゆる現業公務員を含めず公共企業体職員のみの労働関係につき規定された公共企業体労働関係法制定当時の第一条第一項参照)。しかしながら、公共企業体の職員もまた憲法第一五条第二項「公務員」に該当するとする有力な見解(「註解日本国憲法」上巻三七〇頁)もあり、この見解からすれば、公共企業体職員もまた国家公務員と同じく、全体の奉仕者として公共の福祉の擁護に当るべきは当然のことであり、公労法第一条はこの当然のことを明示したに過ぎないものといい得る。以上いずれにしても、公労法が第一七条において国営企業に従事する国家公務員及び公共企業体職員つまり公共企業体等の職員につき争議行為を禁止し、又当局側の作業所閉鎖をも同時に禁止しているのは、公共の福祉を増進し擁護するという目的に照らし、企業の正常な運営がいささかも阻害されることなく円滑に行なわれることを確保せんとするに在つて、しかもこの意味からして公労法第一七条は正に強行法規といわねばならない。

このように争議行為が許されないということは当局側として当然であるのみならず、職員側としても、その職種が現業であるとはいえ、一は全体の奉仕者たる公務員についてはその公務員たる本質に基づき当然のことであり、他は厳密な意味において公務員でない公共企業体職員についても前述の如く法律により公務員に準ずる性格を与えられていることに基づきおのずから要請されるところといわねばならない。

以上要するに、公務員については勿論、公共企業体職員についても、争議行為は一般的に禁止され争議権を全く否定されているのであるから、かかる者の争議行為は、争議権を有つ民間労働者の場合と異なり、その争議行為の正当性如何は当初から問題とならず、従つて民事上の免責規定(労組法第八条)のみならず、いわゆる刑事上の免責規定(労組法第一条第二項)の適用の余地のないことは明らかである。

しこうして、法律規範の命令的機能と評価的機能とに関する問題であるが、およそ法律規範が一定の行為を命令禁止しているのは、その命令禁止の前提として、その行為の適否、つまり正当である又は正当でないと評価しているからであると解されるところ、公労法がさきに述べた如く第一七条において労使双方に対して争議行為を禁止しているのは、その前提として、かかる争議行為を行なうことは、企業の正常な運営を阻害するものであるから、前述の如く企業の正常な運営を最大限に確保することによつて、公共の福祉を増進し擁護せんとする公労法の目的(それが公共の福祉の増進ないし維持という全法律秩序の目的と合致することは既に述べたとおりである)に反し、従つて正当ならず、つまり違法と評価したからであつて、かかる争議行為等が第一七条に違反するから始めて正当ならずとされるべきものでないことを理解する必要があろう。しかも、公労法第一七条は職員及びその組合の同盟罷業等の争議行為を実行することを禁止するに止まらず、その共謀、あおり、そそのかしといつた実行前の段階の行為までも禁止しているのであるが、かくの如く事前の段階における行為までも禁止しているということに徴すれば、争議行為の実行の如きはよくよく違法であると評価したからこそであると解される。従つて公共企業体の職員が同盟罷業その他争議行為を実行することは、公労法第一七条に違反するものであることは勿論であるが、その違法であることは既に明らかであつて、これを正当視するに由なく、労組法第一条第二項のいわゆる刑事上の免責を受け得る余地なきものと申さねばならない。このことは公労法立法当時の第三回及び第四回国会における政府委員の左記の各説明においても明らかなところである。

(イ) 第三回国会衆議院労働委員会議録第一二号(昭和二三年一一月二九日)一〇頁)

(公共企業体労働関係法案)

○中原委員 いろいろ政府の御見解も拝聴いたしましたが、この場合私はまず最初にこの十八条の――何と申しますか、職員の身分に対する一つのいわば懲罰的な規定ですが、この場合労働組合法の第一条の第二項の、刑法の適用除外の項は、どういう関係になつておりますか、その点をひとつ……。

○西村(健)政府委員 今の御質問は労働組合法一条二項でございますか。――これは十七条の問題であろうと思います。十七条では争議行為を明らかに禁止してございますので、ここに列記しておるような行為、これらの違反行為は、いわゆる労働組合法一条二項の正当な行為ではなくなるのであります。従つて刑法三十五条の適用もない、こういうことであります。

○中原委員 それではこの十七条に規定しておる禁止行為をした場合はこの処罰を受けると同時に、刑法の適用を受けるというようにみなすのですね。

○西村(健)政府委員 必ずしも刑法の適用を受けるかどうか、これは具体的な事案によらないとわかりませんが、たとえば公務執行妨害とかいうものに該当するような行為であれば、刑法の適用をうける。一方会社と公共企業体の職員、十八条はその職員との関係でございますが、これは別の関係でございます。

(ロ) 第四回国会参議院労働委員会会議録第三号(昭和二三年一二月八日)一頁

(公共企業体労働関係法案)

○委員長(山田節男君) (中略)ちよつと私からお伺いしますが、十八条の規定は労働組合法の第一条第二項の規定に相当するものじやないかと考えるのでありますが、この十七条に違反した行為は全部本刑法によつて処罰するというのでありますか、一般刑法によつて処罰するということの、その限界を一つ示して頂きたいと思います。

○政府委員(西村健次郎君) 御質問の御趣意は、十七条違反行為はいわゆる労働組合法の第一条第二項の正当なる行為を認められないか、然らば認められていないとすれば一般刑法は結局どうなるかというような御質問だと思いますが、十七条違反行為はこれは労働組合法第一条の二項の、いわゆる正当なる行為にならないわけであります。然らば一般の刑法はどういうふうになるかというと、これは一般刑法の適用の問題でありまして、この場合によれば公務執行妨害が成立する場合もありますが、或は威力による業務妨害というのが成立する場合があります。或いは背任罪の成立等も考えられる場合があるのじやないか、これは具体的に関係いたしますことになると思います。

(中略)

○委員長(山田節男君) そうしますと、公共企業体の労働関係法で決める争議行為というのは、いわゆる労働組合法の第一条第二項の刑事の阻却性は全然認めないというのが立法精神と見て差支えないでしようか。

○政府委員(西村健次郎君) この法文を冷やかに見ますと、第十七条に書いてありますような同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為はしてはならないということになりますと、苟くもこれに該当する行為については違法性を阻却しないということになります。但し十七条の違反行為であつて直ぐそれが刑法の罰則に触れるかどうかということは、これは別問題であります。

しこうして、公労法には国家公務員法第一一〇条第一項第一七号の如き違反に関する罰則規定が存在しないからといつて、第一七条に違反する行為の正当性を失うことを肯定しつつも、なおその違反の効果は、同法第一八条の解雇といういわゆる行政処分に止まる趣旨であるとするが如きは、叙上の法理を無視ないし看過するものというのほかはない。又、公労法第三条が民事上の免責規定たる労組法第八条を排除しながら、いわゆる刑事上の免責規定たる労組法第一条第二項を排除していないとの形式的理由で、この第一条第二項の適用ありと解するが如きは、法文の末節に拘泥する見解であるばかりではなく、労組法第八条が争議行為のみに関する規定であるに反して、労組法第一条第二項は争議行為のみに止まらず広く団結、団体交渉その他に及ぶ広範囲に亘る規定であつて、若し仮りに同条項を第八条と同じく排除するならば、争議行為以外のこれらに関する行為についていわゆる刑事上の免責をも否定し去り、行き過ぎた結果を招来するものであることを看過するものといわねばならない。

以上公労法第一七条に違反する争議行為につき、労組法第一条第二項の適用の余地ありとする原判決の法律解釈の誤りを指摘した次第である。

2 次に原判決が、公共企業体等の職員の争議行為が公労法第一七条に違反するものであるとしつつもなお労組法第一条第二項の適用の余地ありとするものであることは既に述べたとおりであるが、これと結論を同じくする一つの高裁判決のあることを附言せざるを得ない。すなわち、昭和三六年二月二一日札幌高裁函館支部昭和三五年(う)第二九号、威力業務妨害被告事件に対する同支部判決がそれである。同判決は「公労法が公共企業体等の職員に対し、労働組合法の適用あることを明示しながら、特に争議行為については右労組法第一条第二項の適用を排除することを明確にしていないし、他にこの点に関連し、争議行為について直接の罰則規定を設けていない以上、たとえ同法第一七条が全面的な争議行為の禁止を規定していても、その違反の効果は同法第一八条による解雇に止まるものと解すべきであつて(なお別に民事上の免責が与えられないで損害賠償義務の発生することは前記の如く労組法第八条の適用を排除する第三条の規定に基くものであるが)、公共企業体等の職員の行つた争議行為の処罰については、労組法第一条第二項の適用によつて一般私企業の従業員と同様、犯罪の構成要件に該当すると共に、争議の目的、時期、手段、方法等の点において労働組合法所定の正当性の限界を超えるものに限られるものと解するのが相当である」と判示する。この判決は公労法第一七条「違反の効果は同法第一八条による解雇に止まる」とする点は原判決と同様であるが、しかし「なお別に民事上の免責が与えられない」ことを附加している点において原判決と異なる。

従つて、右札幌高裁函館支部の判決は、公共企業体等の職員の争議行為は公労法第一七条に違反し民事上の免責規定の適用のないことを肯定しつつも、なお、いわゆる刑事上の免責規定の適用あることを示すものといい得よう。このことは、かかる争議行為は公労法第一七条に違反するという点で民事法上は正当ならず、違法であるが、しかしこれは刑法上は刑事罰を加えるに足るべき高度の公序良俗違反は存在せず、つまりいわゆる可罰的違法性を有しないという意味において、いわゆる刑法上の違法性を阻却するとの見解を採つているのではないかとも思料される。

しかしながら、果して然りとすれば、かかる見解は失当であると申さねばならない。蓋し、違法性(各法域における)は前述の如く違法行為又は不法の行為と異なることは申すまでもない。しこうして、刑法は犯罪構成要件的に制約された行為を違法とする点において刑法上の違法行為の特色があり、私法上等の違法行為又は不法の行為と区別されるが、その刑法上の違法行為を違法行為たらしめる違法性の判断は、全法律秩序の見地からなされる。つまり違法性は前述の如く全法律秩序の見地から行為が無価値なりと判断さるべきものであつて、かかる法的無価値なりと判断される違法性は、独り刑法的に特殊なものではなく、法的に一般的なものである。言い換えれば、刑法上の違法行為を違法行為たらしめる違法性なるものは、もとより犯罪成立の前提条件であつて、可罰性を制約するものであるが、可罰性によつて制約されるものではない。この意味において、違法性に公序良俗違反の高度のものと低度のものというような段階を認め、犯罪として刑罰をもつて対抗するのは前者に限るとするが如きは、特別な構成要件的違法性と特別な刑法上の違法性との概念を混同するものといわねばならない。このことは、独りわが国における有力な刑法学説の採るところであるに止まらず、ドイツにおける有力な多数の刑法学説の夙に強調するところでもある。

しこうして、公労法に違反する公共企業体等の職員の同盟罷業その他の争議行為が、その規模、態様の如何を問わず、すべてそのまま刑法第二三四条の威力業務妨害罪の構成要件に該当するものとはいい得ないのであるが、いわゆる刑事上の免責規定の適用ありとされるのは、さきにも述べたとおり犯罪構成要件に該当することを前提としての話であるから、右の争議行為が刑法威力業務妨害罪の構成要件に該当した場合においても、なお違法性を阻却するか否かがここに問題となるのである。だが、既に説明したところによつて明らかな如く、公労法第一七条に違反する行為は、全法律秩序の見地から違法性が肯定されるし、しかもそれが刑法の犯罪構成要件に該当するものである限り、その上更にその違法性に高度の公序良俗違反の有無を詮索するまでもなく、いわゆる刑事上の免責規定の適用の余地なく、つまり違法性を阻却するに由なきものといわねばならない。

3 更に、公共企業体等の職員の争議行為にいわゆる刑事上の免責の余地なきことは、次の観点から見ても明らかである。

ところで、違法性阻却事由は、犯罪構成要件が違法性の徴表である原則型であるのに対し、犯罪構成要件に該当する行為につき、その違法性を排除する例外型だと解するのが通説であるといい得よう。だが、行為の適法、違法が階級間の力関係によつてきまるという一派の見解は、日本国憲法の下で採り得ないことは改めて申すまでもないから、論外とするが、違法性の実質的内容を法益の侵害ないし脅威と規定する場合には、行為の適法(違法性阻却)か違法かは法益秤量の観点からして、その行為のもたらす利益がその行為の害する利益よりも大であるか小であるかによつて決せられるといわれる。つまり、類型的に見て、一般的には社会を利するよりは害する行為と見られるものであつても、例外的事情により実は害する法益が欠缺していた場合とか、害する法益以上に利する法益があるという如き場合には、実は始めから違法でなかつたとするものと解せられる。これ多くの学説が、違法性阻却事由を法益欠缺によるものと優越的利益によるものとの二者に分つて、体系的に理解せんとする所以であり、刑法第三五条(従つて労組法第一条第二項)刑法第三六条等を後者に含めて解釈するのを常とする。

しこうして、労働者の同盟罷業が刑法第二三四条威力業務妨害罪の構成要件に該当する場合においても、その行為が正当なものであるときは、労組法第一条第二項により違法性を阻却し、いわゆる刑事上の免責ありと解されるのは、次の理由によるものといい得るであろう。すなわち、労働関係は、労使両当事者の私的自治つまり両者の取引交渉による秩序形成に委ねることによつて、労働関係は自ら適正化されるとする法律秩序の精神から、労働者が労働契約上負担する労務提供義務を団結して履行しないことにより、必然的に使用者の業務の正常な運営を阻害するものであるから、これにより使用者の業務を妨害することになるのではあるが、ここにおいて使用者が害される業務運営上の利益すなわち法益に対比し、個々的には使用者より経済的弱者たる地位にある労働者が団結して、労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図るために、必要且つ相当な限度において行動する利益、すなわち法益の優先することを認めたに由るものと理解される。そして又かくの如き労働者の同盟罷業等は、正当目的に対する相当手段たるに由るものといわねばならない。尤も、かくの如く労働者の利益が優先するといつても、憲法は国民の平等権、自由権、財産権等「諸々の基本的人権が労働者の争議権の無制限な行動の前に悉く排除されることを認めているのでもなく、後者が前者に対して絶対に優位を有することを認めているのでもない。むしろ、これ等諸々の一般的基本的人権と労働者の権利との調和こそ期待している」のである(前掲最高裁大法廷昭和二五年一一月一五日判決参照)。しかも、右は争議行為につき、何等の制限禁止なき民間労働者の場合の問題である。しかるに、公務員や公共企業体職員の場合はこれと異なる。蓋し、公務員は、既述のとおり全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法第九六条第一項、地方公務員法第三〇条、なお、これらの条項又は法条は、公労法第四〇条においても、地方公営企業法第三九条においても、それぞれ適用を排除していないことは前述した)性質のものである以上、現業たると否とを問わず、政府職員たる公務員が自己の要求貫徹のために、争議行為を行なうが如き場合、争議行為を行なうことにより公務員を利する利益に対比して争議行為により害される使用者たる国民全体の利益(公共の利益)が全法律秩序の見地からして正に優先こそすれ、前者が優先すると認めるべき何等の理由はない。そして又かくの如き公務員の争議行為は、一般の民間労働者の場合と異なり、正当目的に対する相当手段でないことは明らかである。このことは、公務員的性格を有する公共企業体職員についても趣旨を異にしない。これを要するに「公共企業体等」の職員の争議行為は、かかる観点からするも、何等その違法性を阻却すべき事由なきことは明らかであり、さきにも述べたとおり、その違法と評価されたが故にこそ、公労法第一七条の争議行為禁止規定の設けられた所以もまた一層明らかである。

従つて、公労法第一七条違反の争議行為には、民事上の免責規定の適用なきも、なおいわゆる刑事上の免責規定の適用ありとする前掲札幌高裁函館支部の判決は公労法第一七条及び労組法第一条第二項の解釈を誤つたものであることは明らかであるというべきである。

4 なお公務員の中いわゆる現業公務員の争議行為については、かつて昭和二一年一〇月一三日施行当時の労働関係調整法第三八条の規定の反対解釈として、国又は地方公共団体の現業事務従事者に争議権ありと解されていたことがあり、これがためいわゆる現業公務員については、もともと自由に争議行為を行ない得るにかかわらず、公労法が便宜これを禁止するに止まつているかの如き観察をする者なきを保し難いのであるが、かかる観察は明らかに誤である。蓋し、右の労働関係調整法施行当時は、日本国憲法の公布施行前であり、日本国憲法の施行と同時に、従来存在しなかつた、「すべて」の公務員について「全体の奉仕者」たる性格付けがなされたこと(憲法第一五条第二項参照)、そして、その後制定を見た昭和二三年政令第二〇一号その他公務員の争議行為禁止に関する諸法律はいずれもかかる性格付けが反映していることを看過してはならないからである。

従つて、日本国憲法を改正して逆コースをとらない限り、つまり現行憲法を前提として法解釈を行なう限り、憲法施行前の労働関係調整法に前記の法条の存在したことの故をもつて、軽々にいわゆる現業公務員の争議行為の権利ないし自由を云々することの許されないことは最早多言を要しないであろう。

ところで公労法に国家公務員法第一一〇条第一項第一七号の如き禁止違反に関する罰則を規定していない点について見るに、さきにも述べた如く公労法第一条にも明らかなとおり、同法は公共の福祉の増進、擁護のために企業の正常運営の最大限確保を直接の目的としており、このことは労使双方に対する争議行為等の禁止の反面、企業の業務運営の保護を主眼に置いているものといわねばならず、その保護せんとする企業の業務運営こそ、正に刑法第二三四条業務妨害罪の保護法益に該るので、争議行為の規模態様の如何によつて同条の構成要件に該当する限り同条によつて律するに何等の支障のないことは申すまでもない。しかしながら、いわゆる現業業務は、国(又は地方公共団体)の司法又は行政の事務とは性格等を異にする点にかんがみ、国家公務員法や地方公務員法の如く刑法の規定を以つて賄い得ない実行行為の前段階に属する共謀、あおり、そそのかしの如き行為に至つては、犯罪として処罰するまでもないとして立法者は特に公労法に罰則規定を設けなかつたものと解される。これを要するに、公労法に公共企業体等の職員の争議行為に関連する罰則規定を設けなかつたのは、威力業務妨害については刑法第二三四条業務妨害罪の規定により十分賄い得ること、しかもこの規定以上の罰則を必要としないということ、つまり、争議行為の規模態様の如何により同条の構成要件に該当するものである限りは、同条の規定を以つて賄い得るしそれを以つて足りるとしたがため、公労法に敢えて罰則を規定する必要がないものと考えられたものと解するのに何等の不自然もなく、又不合理も存しない。

このことは、最高裁昭和二四年(れ)第一九一八号昭和三〇年一〇月二六日大法廷判決(刑集第九巻第一一号二、三一三頁)の趣意に照らせば、一層明白である。公共企業体の職員は、昭和二三年政令第二〇一号施行当時においては、公務員であつたところ、公務員はすべて同第二条第一項の争議行為禁止規定の適用を受け、その違反に対しては同政令第三条により懲役一年以下又は罰金五千円以下の刑罰を科せられることとなつていたのであるが、右最高裁判所大法廷判例は、同政令第二〇一号は刑法第二三四条威力業務妨害罪の規定の特別法と解すべきであると判示するのであるから、同政令の廃止失効後においては、これらの争議行為は刑法第二三四条威力業務妨害罪の構成要件に該当する限り、一般法たる同法条の適用を見るに至るべきことは明らかであると解せられ、従つて公労法に同法第一七条の違反に関する罰則を設けていないことの故を以つて、右の禁止に違反する争議行為に刑罰法規の犯罪構成要件に該当する場合においてもなおその適用を見ないとする理由とすることのできないのは勿論、更に労組法第一条第二項の適用の余地ありとする理由とすることのできないこともまた明らかであるといわねばならない。

以上により、原判決が公労法第一七条に違反してなされる「公共企業体等」の職員の争議行為について、労組法第一条第二項の適用ありと判示したことは、前述の如く福岡高等裁判所、同裁判所宮崎支部及び広島高等裁判所の既に各判例とするところに違反し、また公労法第一七条、労組法第一条第二項の解釈を誤つた違法あること明らかである。

第四原判決は、弁護人の控訴はその理由がないとしてこれを棄却し、検察官の控訴は理由があるので、量刑不当の主張に対してはその判断を省略し、一審判決懲役三月、一年間執行猶予(求刑懲役六月)を破棄した上、被告人に対し、懲役四月、一年間執行猶予の言渡しをしたものである。しこうして、郵便は国家の排他的独占事業であつて郵便業務が停廃又は遅滞し、ために国民一般が被害を蒙つたからといつて、国民が短期間といえども自からこれを業として行なうことは許されないものであるところ(郵便法第二条、第五条、第七六条参照)、被告人は本件犯行当時郵政事務官であり且つ全逓労組島根地区本部書記長であつたものであるが、本件は昭和三三年全逓のいわゆる年末斗争にあたり、全逓労組の中央指令の下に、斗争拠点局の松江郵便局職員である労組員等が行なつた争議行為すなわち公労法第一七条の禁止する違法な争議行為に参加し且ついわゆる「オルグ」として現場に到り、右の争議行為につき指導的役割を遂行しつつあるに際して、同局における市内第一二、一三区の持戻り郵便物につき、管理者側が応急措置として次回の二号便配達員をしてこれを配達させようとしたのに対し、被告人が他の組合幹部とともにほしいままにこの郵便物を自己の実力支配下に収めてその措置を妨げ、これを取り戻そうとした管理者側に手をかけ、襟を掴む、引張る、足で蹴る等の暴行を加えることにより公務の執行を妨害し、その上全治一週間を要する傷害を負わしめたものである。しかもこれらの結果右持ち戻り郵便物遅配の実害を生ぜしめ、公衆に多大の迷惑を及ぼしたものであり、また被告人は本件につき毫も自己の非を認めず却つて非は他に存すとし改悛の情のないことは公判廷における態度により明らかである。これらの諸点に徴するときは、原判決の右の科刑は量刑著しく軽きに失するというのほかはない。しこうして、その原因を尋ねるに、原判決が量刑をなすにあたり斟酌した情状中には、前述の公労法違反の争議行為にもなお、いわゆる刑事上の免責規定の適用の余地ある公共企業体等職員は争議行為を適法に行ない得るものであるところ、本件においては偶々その適法性の限界を逸脱したに過ぎないものとの法律判断がその根底をなしており、この前提に立つて量刑しているものと認められるが、かかる前提たる法律判断の誤つていることは既に説明したとおりである。

以上により、原判決が「公共企業体等」の職員の公労法第一七条に違反してなされる争議行為について労組法第一条第二項の適用があると判示したことは、前述の如く正当な法律解釈として維持せられるべき冒頭掲記の福岡高等裁判所、同裁判所宮崎支部及び広島高等裁判所の各判例に違反して法律解釈を誤つた違法があり、これがひいて刑の量定甚だしく不当な結果を招来したものであることが明らかであるから、刑事訴訟法第四〇五条第三号、第四一〇条第一項に該当する。よつて原判決は破棄せられるべきものと思料する。

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